しかし、ゲイトメンバーはあきらめなかった。三重県内の漁港にひとつずつ問い合わせを続けていく。そうすることで情報が集まってきた。多くの漁協は単に都会から来た新参者を嫌って断っているのではなく、その企業会員が入る仕組みが整備されていないという現実もあった。ここで大事なのは本気であるということをわかってもらい、そのルールに自分たちが従って準備していくことだった。
まだ、漁業がスタートできる目処が立たない段階ではあったが、漁協の組合員になるために必要な漁船なども先に購入し、本気で取り組む姿勢を示していった。また、継承者がいなかった干物工場(加工場)も引き取り、この段階でできることを一つずつ始めていった。そんなゲイトの熱意に三重県も協力してくれた。
そんな中でコンタクトを取ったひとつが須賀利漁港だ。三重県尾鷲市の須賀利町は1982年に県道202号線が開通するまで車で訪れることができなかった、尾鷲の市街地からは海を挟んだ場所にある飛び地の町である。東京から新幹線や私鉄、さらには車を乗り継いで約5時間かかる、総世帯数158、人口276人の限界集落だ。この須賀利漁港の漁協が、ゲイトによる漁業参入を受け入れてくれた。 須賀利漁協で漁労長を務める世古英夫さんは、須賀利で漁をしたい、という申し出を最初は冗談かと思ったと語る。
「事務員からここで漁をしたいと言っているという話を聞いて、冗談だと思っていました。しかし、何度も説明に来るたびにちゃんと準備が進んでいく。これは本気だと思って、認めることにしました。須賀利で漁業をしている人は、私を始め70代が多い。これではこの先何年も持たない。若い人が来てくれたら、助かります」(世古さん)
須賀利漁港で組合になることができ、実際に定置網が仕掛けられる漁場も割り当てられた。しかしそれは当初想定していたサイズよりも大きな漁場だった。このため漁船や網、漁場の整備に半年以上の時間がかかった。
そして今年3月。ついにゲイトの漁船による定置網漁がスタートした。漁場は元須賀利の入り江の一画。波が高くなければ毎朝そこに向かい、網を引き上げ、かかった魚を引き揚げていく。実際に漁にも同行してみたが、ゲイトの漁業部長をはじめとした3人の漁師が素早く船を動かし網をたぐり寄せて、魚を引き揚げる。この時は残念ながら大漁とはいかなかったものの、さまざまな魚がとれた。通常の漁ではとれた魚はそのまま市場に持っていく。しかしゲイトの漁はここからが異なっている。
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