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ITエンジニアからの転身 小さな漁港に大きな変化を生んだ「漁業女子」三重・尾鷲で定置網漁(2/5 ページ)

» 2018年09月07日 06時30分 公開

IT企業からインテリア業界へ

 「インドネシアで仕事をしている時に、旧知の知人からインドネシアのインテリアデザイン協会の会長を紹介してもらったんです。そこでワークショップのお手伝いなどをしている中で、デザイン事務所の事業拡大の仕事を引き受けてくれないかというお誘いを受けたんです。そこからビジネスの課題を解決するビジネスデザインという道に進みました」

 成長著しいインドネシアで、ジャカルタの熱気に可能性を感じたという田中さん。「今のように副業が許される時代じゃなかった」こともあり、勤めていたIT企業を辞めて、インテリアデザインの世界に身を投じていく。

 システム業界からインテリアデザイン業界へ――。全く異なる業界への転職ではあったが、日本の投資家が求めていることに対してローカルのデザイナーに要望を伝えていく、その仕事はシステム開発の時の要件定義の確定や、相手方企業が困っていることを聞き出すといったシステム営業の仕事の経験と繋がる部分は多かったという。そしてインドネシアのデザイン業界と日本の投資家をつなぐ仕事が動き出した。

 数年間インドネシアで働き、仕事の基盤ができた後に拠点を日本に戻そうと考えた。日本国内の大手IT企業からも多くの誘いがあったという田中さん。しかし、大企業に入社するとなるとインドネシアでの事業が継続できなくなる。そこで連絡を取ったのが先の五月女氏だ。

 「インドネシアでのビジネスデザインの経験を生かして、日本でも仕事ができたらいいなと考えていました。インドネシアはこれから経済が発展する国ですし、お互いのいいところを結び付けられたら、いい関係になるんじゃないかなって漠然と思っていたんです。ただ、インドネシアでは時間や場所に拘束されない自由な働き方ができていたのですが、日本の大手企業に入るとそういった拘束がありそうだなと感じていたんです」

 最終的に田中さんが選んだのはゲイトだった。日本での仕事半分、そしてインドネシアの仕事半分。プロジェクトごとに仕事を請け負うパートナーとして、田中さんはゲイトで働くことになる。

 そのころまだゲイトでは漁業参入の企画は持ち上がっていなかった。入社してまず田中さんが着手したのはゲイトのビジネス構造の改革である。具体的には飲食業態の構造改革だ。

 「五月女さんは飲食業で得た利益の投資先を常に考えていました。そこで考えたのが一次産業なんです。飲食業である以上、食材を使います。稼いだ利益を農業や漁業といった一次産業に投資できればビジネスを循環型にできます。現地では価値がないとされるような産物もおいしい状態で東京へ持って行くことができれば何百倍もの価値がつきます。そうして地域に産業が生まれれば高齢化や人口減少といった社会問題の解決にもつながります。そう考えて、三次産業から二次産業、そして一次産業へと一気通貫する仕組みをデザインすることを始めました」

 前回の記事で紹介した通り、山梨での農業実験は自社農場を作るまでは至らなかったものの、農家から直接野菜を直接仕入れるルートを構築するなど、多くの成果を出した。その農業プロジェクトを動かしている最中に漁業の話が入ってきた。

 当初、田中さんは漁業プロジェクトには関わっていなかった。代表である五月女氏が、三重県で実際に漁業に携わっていた知人と試行錯誤していたためだ。しかし、なかなかうまくいかない。漁船員として漁船に乗って仕事をすることはできるが、自ら船を持って漁に入ることができなかった。

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