日本人が「ある程度の暴力は必要」と考える、根本的な原因スピン経済の歩き方(6/7 ページ)

» 2018年09月11日 08時35分 公開
[窪田順生ITmedia]

軍隊のマネジメントを取り入れた「軍隊式教育」

 暴力指導は悪いことだと頭では理解しているが、どうしても子どもに手を挙げることが止めれない――。薬物中毒患者の禁断症状を思わせるような話だが、この70年前の人々と全く同じことを、先日、謝罪会見を催した速見コーチが言っている。

 「指導9年目になるんですが、最初のほうは危険が及ぶ場面で、たたいてでも教えることが必要だと思っていた。ここ数年はよくないって分かっていながらも、我慢できずたたいていたのが数回あった」

 「気持ちが入っていない時、危ない時にたたかれていた。当時はそれに対し、教えてもらえたという、むしろ感謝の気持ちを持ってしまっていたので、そこが自分の根底にあった」

 実はこれは暴力指導の本質を突いている。体罰を受けながら一人前の選手に成長をした速見氏は、頭では「今の時代、体罰はダメだ」と理解しながらも、我慢できずに女子選手を張り倒したり、髪を引っ張ったりした。暴力やハラスメントで一人前になった人にとって、それを全否定することは、自分がこれまで生きてきたことを否定することになってしまうからだ。あの経験があるから今の自分がある。そういう思いが強くなればなるほど、人は自分が受けた暴力やハラスメントを、愛する人に再現する生き物なのだ。

 1949年の親たちもまったく同じで8割の人が「なぐるは悪いことだ」と自分に言い聞かせながらも、我慢できずに我が子を殴っていた。なぜかというと、速見氏と同じく殴られながら、一人前の大人に成長をしたからだ。

 それが日本の伝統的な子育てなんだからしょうがないだろ、と思う人もいるかもしれないが、実はそうとは言い難い。実は戦時中に「一人前の大人」となった人たちは、これまでの日本の伝統的教育とかなりかけ離れた教育を受けている。それは、軍隊のマネジメントを取り入れた「軍隊式教育」ともいうべきものだ。

 きっかけは、1885年に文部大臣・森有礼が始めた教育改革だった。森は愛国者で、教育に、愛国的思想を大きく取り入れたことでも知られているが、一方で、後のラジオ体操にもつながる「兵式体操」を学校に導入したり、教師を目指す若者を寄宿舎に押し込んで、厳しい上下関係のもとで規律を学ばせたりという、「教育現場の軍隊化」を進めたことでも有名だ。

 運動会、前へならえ、整列行進、そして暴力指導……現代日本にも残る学校の「軍隊臭」はこの教育改革の賜物なのだ。なんてことを言うと、「そんな昔の話を現代に結びつけるな、この反日左翼め!」と怒る方がたくさんいるが、「そんな昔の話」がいまだに我々の「常識」として脳みそにこびりついていることを示す証拠は枚挙にいとまがない。

 例えば、詰襟の学生服だ。

 ご存じの方も多いが、この始まりは、1879年に学習院が海軍の制服をモデルにしたことにある。この時の院次長は渡辺洪基。彼は後に帝大(東大)の初代総長になり、そこでも金ボタンのついた陸軍式の制服を導入していて、これが全国に広まった。

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