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なぜ安室奈美恵は私たちの心を揺さぶり続けるのか?「平成の歌姫」の生きざま(3/5 ページ)

» 2018年09月15日 09時20分 公開
[伏見学ITmedia]

安室奈美恵の生きざま

 アンケートの回答を見ていると、安室さんという一人の人間に対して、アーティスト、母親、女性など、さまざまな視点で評価されていることが分かる。例えば、歌手としても、子育てする同じ母親としても尊敬する、といった具合である。そうした安室さんの多面性がより多くの人たちの心をつかんでいるのだろう。

 再び問う。なぜ安室さんはこれほどまでに愛されるのだろうか。そこには彼女の生き方、生きざまが大きくかかわっているのは間違いない。ここで彼女の歩みを振り返りたい。

 安室さんは1977年9月20日に沖縄県那覇市で生まれる。幼少期から引っ込み思案だった彼女に人生の大きな転機が訪れたのは小学5、6年生のとき。マキノ正幸氏が創設したタレント養成事務所「沖縄アクターズスクール」と出会ったことだ。

「沖縄アクターズスクール」が当時入居していたビル(黄色の看板)は、現在宿泊施設となっている 「沖縄アクターズスクール」が当時入居していたビル(黄色の看板)は、現在宿泊施設となっている

 当時はまだ無名だったこのスクールは、数年後に安室さんをはじめ、MAX、SPEED、DA PUMP、知念里奈、D&Dなど数多くのアーティストを輩出する。90年代の日本の音楽シーンは沖縄がひときわ輝いていた時代でもあった。

 安室さんがアクターズスクールに入校したエピソードはあまりにも有名だ。友人の付き添いでスクールに来たところ、マキノ氏に見いだされ、その帰り道にバス停で呼び止められて入校を勧められる。翌日に安室さんは母親と一緒に来てマキノ氏と面談。母親が家計が苦しいことを打ち明けると、「お金はいらないから」と特待生として迎えられた。それでも、自宅からスクールまでのバス代を節約するために、片道1時間半の道のりを歩いて通っていたというのは伝説になっている。

 入校早々に出場した地元テレビ番組ののど自慢大会でいきなり優勝するなど、歌手としての天性の才能があった。従って、アクターズスクールでは、歌やダンスよりも、精神的な暗さを改善するために時間を費やしたと、後年、マキノ氏はテレビ番組の中で話している。

 1992年9月16日にSUPER MONKEY'Sの一員として、14歳で安室さんはメジャーデビューした。94年にリリースされた「PARADISE TRAIN」からはユニット名が「安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S」となる。スター性のある安室さんを中心に売り出していく戦略に変わったのだ。

 95年にはソロデビューし、プロデューサーに小室哲哉さんを迎えることになる。レーベルもavexに移籍し、当時の音楽チャートを席巻したTKファミリーの一員に加わった。前記したアムラー現象はまさにこのころである。

今や結婚式での定番ソングにもなった「CAN YOU CELEBRATE?」。97年の「NHK紅白歌合戦」でこの曲を歌い産休に入った 今や結婚式での定番ソングにもなった「CAN YOU CELEBRATE?」。97年の「NHK紅白歌合戦」でこの曲を歌い産休に入った(出典:安室奈美恵 公式サイト

 出せばCDが飛ぶように売れる。ミリオンセラーは当たり前。街を歩けば厚底ブーツの女性を見掛けない日はない。そんな大ブームの最中、世間の度肝を抜いた出来事が起きる。結婚、そして妊娠の発表だ。当時20歳の安室さんは報告会見を最後に休養に入る。

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