なぜ今回、経団連会長は「就活ルール」を廃止する「自由化」をうたったのか。そこには13年の採用ルール変更時の経緯が大きく影響している。もともと02年以降、日経連と経団連が定めた採用開始時期は4年次の4月1日だった。それが変更された経緯を振り返ってみよう。
10年7月、科学者団体である日本学術会議が、就活の後ろ倒しを示唆する報告書を発表する。続いて、大学・短大・高専の協議機関である就職問題懇談会がこれに呼応し、総合商社が加盟する業界団体である日本貿易会が翌年11月に歩調をそろえた。12年2月、経団連と並ぶ経済団体、経済同友会が「新卒採用問題に対する意見」を発表。歩調を合わせるように「広報開始を3月」「選考は8月から」と提言し、この流れは次第に本流となっていく。
13年3月の記者会見で、下村博文・文科相が「就活の開始時期は3年ではなく、できれば4年の後半が望ましい」と述べる。ここでは「留学生が減っている第一の理由」として、「就職への影響」を挙げ、その解決策として「産業界と連動した就職時期の是正」が必要とされた。アベノミクス三本の矢の最後、成長戦略にもこの趣旨の一文が、盛り込まれることになったのだ。
同年6月に閣議決定された「日本再興戦略」に、「若者の活躍推進」項目として、「学習時間の確保、留学等推進」のために、就活後ろ倒しが明記された。政府はこの「後ろ倒し方針」を経団連以外にも呼びかけ、11月22日付で、関係四大臣(稲田朋美・再チャレンジ担当相/内閣府特命担当相、下村博文・文科相、田村憲久・厚労相、茂木敏充・経産相)から主要経済・業界団体(約450団体)に、連名で要請を出す。こうして、選考解禁は14年より8月1日となったのだ。
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