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MaaSと地方交通の未来池田直渡「週刊モータージャーナル」(2/3 ページ)

» 2018年11月19日 06時30分 公開
[池田直渡ITmedia]

規模の理論が通用しない

 例えば、人工知能(AI)で需要を分析し、ニーズのある地域に自動運転のEVを派遣すれば、過疎地域の後期高齢者の移動問題がすぐにでも解決するかのように言われているが、筆者はそれに懐疑的だ。

 第一に、AIで需要分析をするためには大数の法則が働く市場規模が必要だ。過疎が進む数十人規模の村落でAIを駆使して傾向を分析しても実情とのズレが大きすぎる。そういう傾向分析が機能するだけの件数がない。そうなれば特定個人がいつ、どこからどこへ行くのかという個別の具体的ニーズをつかまない限り運行はできない。

 では、過疎地域在住の後期高齢者の全員が、スマホアプリを操作して、予約を入れて具体的ニーズを数値化できるかと言えば、そんなことになるとは考えにくい。

 CASEが有意に働くのは結局、都市部の話だ。需要が多く、デジタルスキルの高い人が多く住むエリアで、現在すでに便利な地域に住む人がさらに便利になる話でしかない。

 現在のインフラ網から振り落とされそうな地域と人を救うという目的を、CASEは本来的に得意としていないのだ。

 インフラ崩壊が進む地域で求められているのは、高度で高コストなテクノロジーではなく、ローコストで自在性の高い代替インフラだと筆者は思う。そもそも高コストを許容できるなら鉄道は廃線にならない。当たり前の話である。

 突き詰めて言うと、結局こうしたエリアで一番困るのは村落の狭い道を介して散り散りになっているラストワンマイルである。そこをどうするか? 自分でクルマを運転できる世代は1人1台の軽自動車でOKだ。実際今はそうなっている。しかし問題は後期高齢者の移動である。

 マクロの話としてはコンパクトシティ政策で、インフラの集中化を目指すという正論があるのだろうが、体力も気力も衰えた高齢者に引っ越しという重労働と、新しい環境下への適応を求めるのは現実的ではない。ロジカルに正しくてもポリティカルには実現不可能だろう。

 例えば、スズキのセニアカーという乗り物がある。スズキだけでなくホンダやその他専業メーカーからも発売されているが、スズキが最大シェアを持っている。

法的には車両ではなく歩行者扱いになる電動車いす。セニアカーというのはスズキの商標だ 法的には車両ではなく歩行者扱いになる電動車いす。セニアカーというのはスズキの商標だ

 これは法的にみれば電動車いすだ。1人乗りで免許もいらない代わりに速度は時速6キロまで、しかし何よりも車検がなく、歩道を走れることの意味は大きい。航続距離はカタログ値で19キロとなっている。価格はローエンドモデルで30万円程度。セニアカーは日々の移動距離はそう長くないし、基本的に耐久性が高い商品なので、75歳で後期高齢者に突入してから85歳までの10年間くらいは買い換えずに何とかなるはずである。

 仮に半額を公的に負担するのであれば、個人負担15万円程度で移動手段が確保できる。赤字ローカル線に自治体が予算を突っ込むよりははるかに安いはずだ。耐候性などに関しては多少のケアが必要かもしれないが、なにも暴風雨の中でも大丈夫な仕様にする必要はなく、若い人が傘をさして歩ける程度の降雨に対応できればほとんどのケースは救済できるはずだ。現状では幌の最大高さの制限について非現実的な規制があるので、これは早急に改善を求めたい。

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