連載
» 2018年12月04日 06時00分 公開

長浜淳之介のトレンドアンテナ:ライバルと明暗 栄華を誇った「小僧寿し」だけが大きく苦戦した理由 (2/6)

[長浜淳之介,ITmedia]

かつては外食産業のトップに君臨した

 小僧寿しの前身は、1920年に創業した大阪府堺市のすし屋「鮨桝」だ。3男として生まれた山木益次氏は、材木問屋の丁稚をしながら夜間高校に通った後、セールスマン、調理見習い、ナイトクラブのボーイなどを経て、1961年に家業を手伝うようになり、翌62年に支店を任された。しかし、営業不振に陥り、試行錯誤の末、64年に持ち帰りずし店に転換。これが当たって65年に株式会社化した。この会社が小僧寿しの原型となった。

 70年、山木氏が米国のチェーンストア理論を導入して、大量仕入れと大量販売、業務マニュアル化、店舗画一化の導入により一気に全国展開を狙った。しかし、資金難、社員との相互理解不足、組合問題などが噴出し、社内が混乱。鮨桝の社長辞任を余儀なくされた。

 72年、再起して新たに小僧寿し本部を設立。「すしのファースト・フード」「日本一の低価格」を掲げてFCシステムで急成長した。79年には年商531億円を計上して、外食産業日本一となった。マクドナルド、すかいらーく、吉野家らを凌駕(りょうが)して、天下を取ったのだ。

社名にある“小僧”の意味

 86年に大阪府吹田市に本社を移転。89年には店舗数が2300店を超え、93年には年商が1056億円となり、94年に株式上場を果たす。この頃が小僧寿しの絶頂期であった。

 山木氏はダスキン創業者・鈴木清一氏の経営哲学に心酔。鈴木氏に倣い、フランチャイズ本部と加盟者は一体となって心を通わせ、顧客を満足させる事業にいそしみ、世の中に尽くすことを方針とした。確かに小僧寿しはすしというモノを売っているが、本当に大事なのは、商品と接客を通して販売員と顧客が心を通わせることだと考えたのだ。

 社名の“小僧”は小説家・志賀直哉の傑作『小僧の神様』に由来する。秤(はかり)屋の小僧だった主人公・仙吉は、すしを食べたいと願っていたが、高価なのですし屋ののれんをくぐれずにいた。そのことを偶然知った衆議院議員Aが、仙吉にすしを腹一杯おごるが、同席せずに立ち去る。すしを腹いっぱい食べたいという願望を知っていたAを、仙吉は神様と思うようになったというストーリーである。ちなみに、神と思われたAは、おごったことを悔恨し、二度とすし屋と仙吉の前には現れなかったというオチがある。

 つまり、「貧しい小僧でも高価なすしを腹いっぱい食べさせてあげるようにした“小僧の神様”は、自らの慈善を悔いている」という話である。ただし創業者としては、修行する小僧のような謙虚な気持ちで、高価なすしを大衆化したいとの思いで付けた屋号と推察される。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

職種特集

注目のテーマ

マーケット解説

- PR -