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ジブリ鈴木敏夫が語る――宮崎駿に『風の谷のナウシカ』を連載させた『アニメージュ』初代編集長の「型破り人生」低きにありて、高きを思う(1/3 ページ)

» 2019年10月01日 05時00分 公開
[伊藤誠之介ITmedia]
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 2019年6月22日に、東京・神保町の書泉グランデにおいて、「スタジオジブリプロデューサー鈴木敏夫さんトーク&サイン会」が行われた。

 鈴木敏夫氏といえば、スタジオジブリのプロデューサーとして、宮崎駿作品をはじめとするアニメーション映画の制作に尽力している人物だ。一方で鈴木氏は、ラジオ番組「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」のパーソナリティーなどで、映画や文化、社会問題といった多彩な話題を、軽妙なトークで自在に語ることでも知られている。また、初のノンフィクション小説『南の国のカンヤダ』(小学館)も話題になっている。

 当日は、鈴木氏と親交がある高橋豊氏(アニメイトホールディングス代表取締役会長、「高」は正確には「はしごだか」)が来場。鈴木氏と高橋氏が出会った徳間書店の編集者時代のエピソードが語られた。鈴木氏の就職活動や、徳間書店に入社して配属された『週刊アサヒ芸能』での仕事といった話題が登場するなか、トークの中心となったのは、鈴木氏の徳間書店時代の上司である故・尾形英夫氏との思い出だ。

 『月刊アニメージュ』の初代編集長となった尾形英夫氏の下で、新人時代から編集者として仕事を続けてきた鈴木氏(ちなみに鈴木氏は『月刊アニメージュ』の二代目編集長)は、この尾形氏から大きな影響を受けたという。徳間書店入社前後の話題や、尾形英夫氏については、鈴木氏のロングインタビュー集『風に吹かれてI――スタジオジブリへの道 』(中公文庫)や『風に吹かれてII――スタジオジブリの現在』(中公文庫)の中にも登場しているが、今回語られたのは、部下である鈴木氏の目から見た尾形氏の、型破りなエピソードだ。

 鈴木氏による味わいのある語り口で活写される、昭和の雑誌編集者の個性的な姿をご堪能いただきたい。

phot 鈴木敏夫(すずき・としお)1948年名古屋市生まれ。慶応義塾大学文学部卒業後、徳間書店入社。『週刊アサヒ芸能』を経て、『アニメージュ』創刊に参加。副編集長、編集長を務めるかたわら、「風の谷のナウシカ」「火垂るの墓」「となりのトトロ」などの高畑勲・宮崎駿作品の製作に関わる。85年にスタジオジブリの設立に参加、89年からスタジオジブリ専従。以後ほぼ全ての劇場作品のプロデュース。現在、株式会社スタジオジブリ代表取締役プロデューサー。著書に『仕事道楽 新版 スタジオジブリの現場』(岩波新書)『ジブリの哲学―変わるものと変わらないもの―』(岩波書店)『風に吹かれて』(中央公論新社)『ジブリの仲間たち』(新潮新書)『ジブリの文学』(岩波書店)『人生は単なる空騒ぎ―言葉の魔法―』(KADOKAWA)『禅とジブリ』(淡交社)『南の国のカンヤダ』(小学館)『天才の思考 高畑勲と宮崎駿』(文春新書)など

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