23年ぶり社長交代のイオンの過去と未来 衰退したダイエー、勢いを増すAmazonから分析する小売・流通アナリストの視点(1/6 ページ)

» 2020年02月20日 05時00分 公開
[中井彰人ITmedia]

 23年ぶりに社長交代ということで、イオンのここ20年を振り返るニュースをいくつも見かけた。3月1日に代表権のある会長へ就任し、社長をしりぞく岡田元也氏は1997年に“2代目”社長としてジャスコ(現イオン)の社長に就任。当時、年商2兆円強だったグループを、今や8兆円を超える巨大流通グループにまで成長させた。最近では流通業界といえば、イオングループとセブン&アイグループがツートップというイメージだろう。しかし97年時点では、「ダイエー」というトップ企業がまだ、業界に君臨していたし、その他にも大型スーパー企業が数多く割拠していた。この時点では、当時ジャスコだったイオンは売上3位ながら、その規模はトップであるダイエーの半分程度の存在だった。

1997年当時のスーパー業界売上高ランキング。日経流通新聞「小売業調査」から筆者が作成

 当時、横浜で暮らしていた筆者などにとっては、「スーパー」といえばダイエー、イトーヨーカドー、西友であり、もしくは、マイカル本牧という当時としては最新鋭のショッピングセンターや、サティという総合スーパーで、神奈川県内に進出していたマイカルの方がイオンよりもなじみがあったという記憶だ。そのころのイオンは、首都圏にはそんなに浸透していなかったし、もともと地方のロードサイドをホームグラウンドにしていたということからも、首都圏の住人には印象の薄い存在だったように思う。

 しかし、00年前後の金融危機を経て、こうした業界地図は大きく変わった。97年当時の上位企業の多くが再編の波に飲み込まれていく中で、イオングループは再編の受け皿として、他社を傘下に収めることで、業界におけるリーディングカンパニーとしての地位を確立していく。かつてのトップ企業ダイエーさえも傘下とし、並行して地方の食品スーパー再編統合を進めたイオンは、スーパーマーケットの業界において、「圧倒的トップ企業」と言っていい存在となった。

 00年前後、なぜ多くの小売大手が再編に追い込まれたのか。今やご存じない読者も多いと思うので、ざっくり振り返っておこう。バブル経済の時代、既に日本の実体経済が成長していない状況にもかかわらず、潤沢な資金が手元に集まっていた金融機関は、大規模な不動産開発案件への貸し出し競争で成長を維持しようとしていた。店舗や商業施設という、「不動産投資案件」を継続的に生み出す大手小売は、金融機関にとっては“ドル箱顧客”であり、投資効果について大した検証もしないまま、どんどん資金を提供していた。

 こうした金融環境だと、当然ながら投資効果が大して見込めないような採算ぎりぎりの案件がたくさん実現してしまう。今考えてみれば、「信じられない」と思うかもしれないが、成長は永遠に続くというストーリーを、当時、大半の関係者がうたがっていなかった。それでも消費が拡大しているうちは問題にならなかったが、バブルが崩壊して、消費が一気に冷え込んでしまうと、「低採算案件(店舗投資や事業多角化)」は「不採算案件」へと転落し、返済が難しくなった。こうした不良債権が日本全国で、同時多発するという恐ろしい状況が現実に起こったのだ。

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