「オレは絶対に悪くない!」という“他責おじさん”が、なぜ出世するのかスピン経済の歩き方(1/6 ページ)

» 2020年10月13日 09時22分 公開
[窪田順生ITmedia]

 「ウチの会社にもこんなおじさんいるよ、何があっても絶対に自分の過ちを認めないんだよな」――。

 先週、みなさんの周りでもこんな怒りの声が飛び交ったのではないだろうか。「こんなおじさん」とは、トヨタのプリウスで横断歩道を渡っている人たちを次々とはねて、母親と3歳の娘の命を奪った旧通産省のキャリア官僚である飯塚幸三被告のことである。

 ご存じのように、この痛ましい暴走事故は、捜査段階でクルマの制御システムに異常を示す記録はなく、むしろアクセルをずっと踏み込んでいたデータが残っていると報じられ、飯塚被告本人もその可能性を否定しなかった。しかし、10月8日に開かれた初公判でそれをちゃぶ台返しして、「クルマに何らかの異常が生じたために暴走した」と無罪を主張したことで、日本中の怒りが爆発している状態なのだ。

なぜ“他責おじさん”は出世するのか(写真提供:ゲッティイメージズ)

 日本の産業技術の向上を目指していた工業技術院の院長まで務めた人物が、なぜこの期に及んでトヨタに責任をなすりつけようと考えたのかという理由は、ぜひ知りたいところなので、裁判の行方を見守っていきたいと思うが、その一方で個人的に関心があるのは、飯塚被告のこの「他責性」と、官僚としてのキャリアの成功に何かしらの関係があるのではないか、と考える人たちが少なからずいることだ。

 例えば、脳科学者の中野信子氏は「ワイドスクランブル」(テレビ朝日)に出演して、「言葉はすごく飯塚被告、丁寧なんですけれど、残念に思うのはすごく他責的に聞こえる」と指摘し、続けてこんなことをおっしゃっている。

 「責任をこうやって他の人に求める姿勢が出世することに重要だったのかな? って考えてしまうんです」

 これはまったく同感だ。飯塚被告に限らず、日本社会の責任ある立場の方たちを見渡してみれば、何かあるとすぐに責任を自分ではなく他人に求める「他責おじさん」が明らかに多いからだ。

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