「僧にあらず俗にあらず」を体現する異色の僧侶、大愚和尚(たいぐおしょう)が、ビジネスにまつわる疑問、悩みを“仏教の視点を持って”解決。今回のテーマは「異端者でなければ、成功者にはなれないのか?」。常軌を逸脱した行動は、時には「うつけ(バカ)者」と笑われることもある。しかし、人目を気にせず「普通」とは違った発想力、行動力を持っているからこそ唯一無二の存在になれた成功者は多くいる。彼らと成功者になれない“凡人”との違いは何か? 和尚が説く。
世の中には賢い人がいます。世の中にはバカな人もいます。
お釈迦さまは、過ちを犯した弟子を戒めるとき、「愚か者」と呼びました。仏教には、言葉に関して厳しい戒律があります。決して人を中傷する言葉、無意味な言葉は使ってはいけません。それなのに、お釈迦さま自身が弟子に対して、「愚か者」と呼ぶとは、一体どういうことなのでしょうか。
実は、「愚か者」と訳されているパーリ語の単語「bala(バーラ)」には、品格のない、気品のない、知識の足りない、愚かといった意味があります。煩悩にまみれ、感情に流され、自分の心を見つめることもなく、育てる努力もせず、いたずらに時の流れに身を任せて、日々を怠惰に過ごしている人のことを、愚か者、「bala」と呼ぶのです。
ですから、「愚か者」は決して、人を悪くいう言葉ではありません。お釈迦さまは、愚かさを弟子に自覚させるために、慈しみをこめて「愚か者」と呼ばれたのです。
弟子たちもそのことは承知しています。弟子たちは、自分は賢者ではないと知っています。自分が愚か者であることを自覚しているからこそ、愚かさを見つめて、真摯(しんし)に修業に励んだのです。
古今東西、あらゆる分野に、成功者と呼ばれる人がいます。成功者の生きざまを調べてみると、思考、行動、習慣が、どこか普通じゃありません。賢者か愚か者、その対極のどちらかです。
世の中には、本物の賢者がいます。類まれな能力を持ち合わせて生まれてきた人がいるものです。けれども、真の賢者は決して多くはありません。ほとんどの人が、普通の人、凡人です。普通の人は、夢はみれど、口先で大きなことを語れど、なかなか成功しません。では、凡人は決して、成功者になれないのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。
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