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マツダが構想する老化と戦うクルマ池田直渡「週刊モータージャーナル」(1/4 ページ)

今後ますます増加する高齢者の運転を助ける1つの解として「自動運転」が注目を集めている。しかしながら、マツダは自動運転が高齢者を幸せにするとは考えていないようだ。どういうことだろうか?

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 日本の高齢化が今後ますます進むことは火を見るより明らかだ。2025年には65歳以上が全人口の3割を超えるという試算も総務省から出ている。高齢化社会をどう切り抜けるのか? それは年を追うごとに深刻化していく問題になるだろう。

 自動車メーカーももちろん例外ではない。現実に今着々と開発が進んでいる「自動運転車」はそのソリューションの1つになるだろう。年老いて運転がままならなくなっても、行き先さえ指示すればクルマが自動的に運んでくれる。それは高齢化社会に対する自動車メーカーの回答に見える。

 しかし、マツダはそう考えていない。「歳をとったら全部お任せ。自分でやる必要がない」ということは果たして幸せだろうか、と問うているのだ。

CX-3は老若男女誰もが使い易いようにユニバーサルデザインを目指して設計された。高すぎず低すぎず、乗降時にシニア層にも負担のかからない600mmのシート高に設定されている
CX-3は老若男女誰もが使い易いようにユニバーサルデザインを目指して設計された。高すぎず低すぎず、乗降時にシニア層にも負担のかからない600mmのシート高に設定されている

自分でできることの幸せと社会的リスク

 私事だが、実は昨年亡くなった筆者の母は脳梗塞の後遺症で右半身不随になり、17年間寝たきりで過ごした。当初は経口で食事をすることも叶わず、胃瘻(いろう)から栄養液を補給するという状態だった。胃瘻とは、食べ物を嚥下(えんげ)できない人の胃に直接管を入れて栄養補給させるための「栄養注入口」だ。しかし、母は長いリハビリの末、経口で食事ができるようになり、動く左手で自分で食事が取れるまでに回復した。当初は意識があるかないかさえ不明で、医者から「植物状態からの回復は絶望的」とまで言われながら、経口で食事ができるようになるとみるみる回復し、やがて歌を歌うほど元気になった。

 だからマツダの言わんとすることはよく分かる。何らかの機能を喪失した人にとって何より幸せなのは「自助生活」なのだ。免許証を取り上げて「運転」を奪うのは本人の自助の活力を奪うことにほかならず、それはさらなる機能失墜を呼び起こす負の連鎖になりかねない。いくつになっても自分で運転できることこそが幸せだ。運転は煩わしいことではなく、積極的に楽しいことだとマツダは考えている。

 しかし一方で、一瞬のミスで簡単に凶器になるクルマを心身の機能が衰えた高齢者にこれまで通り自由に運転させるわけにはいかない。高齢ドライバーによる高速道路の逆走といったニュースは頻繁に報道されており、事故件数の増加も問題になっている。そうした社会治安の状況も十分に考慮しなくてはならない。とすれば、クルマの運転者はいつも「認知」「判断」「操作」が円滑に行える状態が保たれていなくてはならない。

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