小田急の特急ロマンスカーが残した足跡:杉山淳一の「週刊鉄道経済」(1/5 ページ)
小田急ロマンスカーの60周年を記念して、横浜駅から徒歩数分の原鉄道模型博物館で特別展「小田急ロマンスカー物語」が始まった。流線型に展望車、子どもたちの憧れだったロマンスカー。その功績は小田急電鉄の業績向上にとどまらず、世界の高速鉄道誕生のきっかけをもたらした。
私は「巨人・大鵬・卵焼き」の次の世代だから、好きなものを並べると「特急・仮面ライダー・ハンバーグ」である。仮面ライダーはウルトラマンに、ハンバーグはカレーライスに差し替えてもいいけれど、特急の位置は不動だ。オジサンの昔語りで恐縮だが、1970年代の特急列車は、当時の子どもたちの憧れだった。新幹線や国鉄特急列車、ブルートレインもカッコよかった。
そして私鉄の特急列車だ。2階建て電車の近鉄ビスタカー、展望車付きの名鉄パノラマカーと小田急ロマンスカー。ちょっと国鉄風の東武デラックスロマンスカー、丸みを帯びた南海こうや号、銀色の飾り板がまぶしい西武レッドアロー。押し出しの強い先頭車の京成スカイライナー。
その中でも1つ選ぶなら小田急ロマンスカーだ。東京の人間だから東京の電車に親しみがあるし、展望車付きのロマンスカーの魅力は他の特急電車より一段上だった。なぜ地元の東急には特急電車がないのだ。地味すぎるだろ、と思ったものだ。ロマンスカーの展望車座席は人気が高く、なかなか予約できない。大人になってからも乗る機会がなかった。ロマンスカー展望席の初体験は小田急電鉄を引退し、長野電鉄に譲渡された10000形だった。
思い出話はこれくらいにしておこう。ロマンスカーを語りたくなった理由は、9月2日から横浜の原鉄道模型博物館で特別展「小田急電鉄90周年・SE車就役60周年記念 小田急ロマンスカー物語」が始まったからだ。ロマンスカーの歴史を振り返るパネル展示のほか、2018年3月にデビュー予定の70000形運転室モックアップが目玉展示。また、7000形の動軸、NSE3100形の座席、扉などの実物のほか、図面や切符など当時の貴重な資料が蔵出しされている。
原鉄道模型博物館は、鉄道模型趣味界の重鎮、原信太郎氏(1919〜2014年)のコレクションの一部を展示する施設だ。常設展示はジオラマも含め海外の車両が多い。なぜ小田急の展示かというと、原氏は国内の鉄道ももちろん趣味の対象としており、3000形SE車の試運転を含む、往時のロマンスカーの写真や小田急の切符もコレクションしていたからだ。
3000形の登場は1957年。原氏は38歳でコクヨの社員として働き盛りだったはず。趣味にたっぷり時間を使えるとは、原氏の情熱とおおらかな時代を感じさせる。
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