「とんでもないことできる」永青文庫のiPadアプリに見る電子図録の未来

永青文庫が所蔵する貴重な文化財を、iPadの直感的な操作で鑑賞できるアプリ「細川家の名宝」――元首相で永青文庫理事長の細川氏も、同アプリで「新たな発見」をしたという。電子化された作品とスマートデバイスの組み合わせで、どんな体験ができるのだろうか?

» 2011年01月21日 22時58分 公開
[山田祐介,ITmedia]
photo 永青文庫理事長の細川護煕氏

 「とんでもないことができるものだなと思いました」

 永青文庫理事長で元総理の細川護煕氏がこう語るのは、2010年12月に配信が開始されたiPadアプリ「細川家の名宝 The Hosokawa Family Eisei Bunko Collection」。同アプリは、旧熊本藩主・細川家伝来の文化財を所蔵する永青文庫のコレクションを、タッチパネルを使ったiPadならではの操作で鑑賞できるものだ。

 Web制作などを手掛けるCROSS BORDERSと共同で、アプリのために作品写真を撮り下ろすなど手間をかけて開発。館内展示や紙の図録では難しかった鑑賞スタイルの実現をテーマに、あたかも作品に触れているように巻物をスクロールしたり、茶碗をユーザー自らが回転させられる機能などを盛り込んだ。画像を拡大して細部を見ることもでき、「新しい発見がある」と細川氏は話す。


photophoto 絵巻物のスクロールで読み進めたり、茶碗を回転させて高台をながめたりと、展示や図録では難しい鑑賞方法で作品と触れ合える

値段の付けられない作品を手の中で楽しむ

photo 目白台にある永青文庫

 永青文庫は1950年に細川護煕氏の祖父・細川護立氏が設立し、細川家が南北朝時代から受け継いできた文化財を保管している。国宝や重要文化財をはじめ、古文書なども含めると所蔵数は8万点を超えるという。

 こうした貴重なコレクションを、「iPadという先進技術の象徴であるツールと結びつけ、より日本の文化に関心を持ってもらう」のが細川氏の思いだ。「若い方々にあらためて関心を持っていただけたら。また、iPadはもちろん国際的な市場を視野に入れるもの。海外の方にも関心を持っていただきたい」(細川氏)

 アプリに収録されたのは、国宝2点、重要文化財1点、重要美術品2点を含む12作品。作品の種類ごとに鑑賞の仕組みを作り込んだ。CROSS BORDERSの村上亮代表取締役社長によれば、開発のテーマは「これまでできなかったこと、あり得なかったことの実現」だという。例えば絵巻物は、全長20メートルに及ぶ作品の端から端までをフリックによるスクロールで読み進められる。絵巻物の展示は作品の大きさのために「これまでは一部しか展示できなかった」(細川氏)が、アプリでは全体を自由に鑑賞できる。

photophoto 指でスイスイと絵巻をスクロールできる(写真=左)。ボタンをタップすると解説枠が表示され、この枠を表示しながら読み進めると、シーンごとの解説が自動的に表示される(写真=右)

 また、2本指を使って作品を拡大縮小することも可能だ。「拡大すれば細かいところまで見れ、新しい発見がある」と細川氏は言う。実際、細川氏はアプリを使って絵巻物「長谷雄草紙」を見た際、描かれた牛車に細川家の家紋である「九曜紋」があることを初めて知ったという。「今まで気付きもしなかったこと。この絵に何か細川家も噛んでいたのかもしれない。そういう発見が我々でも簡単にできるのが、とても面白い」(細川氏)

 現代語訳や解説を表示箇所に合わせて読める機能も設け、1タップで表示、非表示が切り替わる。また、Twitterとの連係機能も面白い。閲覧している画面のキャプチャーとともにつぶやきが投稿できるので、感想や発見を“図解入り”でフォロワーと共有できる。また、アプリの紹介Webサイトでユーザーのつぶやきを収集しており、他のユーザーのコメントや発見を画像とともに楽しめる。

photophoto 「発見を報告」をタップすると、Twitterへの投稿が選択できる。投稿はWebサイト側でも収集しており、他人の発見や感想も共有可能だ

 アプリでは茶碗の紹介にも力を入れた。1000枚弱の写真を合成することで、ほぼ全方位から茶碗がながめられるようになっている。「展示では高台(卓に接する底の部分)が見られることはまずないが、茶碗は高台が見どころ。それが見られるのはすごいこと」(細川氏)。画面内の茶碗に触れると、手の動きに応じて茶碗が回り、素早くフリックすると勢いよく回転する。時価数千億と評されるような陶器が、iPadの中で踊る。

photophotophoto 指で茶碗を回転させて、さまざまな角度から鑑賞できる

 墨画などの紹介では、作品を見本にアプリ内で“お絵かき”をして、Twitterに投稿できる機能を取り入れた。絵巻物と同じく、Webサイトにはユーザーが投稿したイラストが収集されている。そのほかにも、国宝の「時雨螺鈿鞍」を精細な画像で楽しみ、柄に隠された和歌を探したり、能面を動画付きで鑑賞したりと、作品それぞれに機能が用意されている。

photophotophoto 作品ごとにことなる鑑賞スタイルが設けられている

図録や展示の課題を、アプリで解決

photo 永青文庫の竹内順一館長

 「展示も本も、部分的にしか見せられないという課題があり、これをどう解決するかが前からのテーマだった。一番良いのは実物をくまなく見せることだが、研究者などでないと難しい。それがiPadという新しいメディアで解決できた」――そう語るのは、永青文庫館長の竹内順一氏。永青文庫では今、合計500点を目標に所蔵品のデータベース化を進めているという。これは「専門家向け」に整備を進めているものだが、専門家向けデータベースと通常の図録との中間的な存在として、今回のようなアプリに価値があると同氏は説明する。アプリによる作品紹介に関しては、「まだまだ我々も使いこなせていない部分があり、意見を聞きながら改良していきたい。使い方は無限に出てくると思う。その第一歩が今回だと考えている」(竹内氏)


photo CROSS BORDERSの村上亮代表取締役社長

 今回のアプリは、価格が1200円とアプリとしては比較的高価な部類に入る。CROSS BORDERS村上社長は、「厳密なマーケティングによるプライシングではなく、それだけの価値があるのではと考えて設定した」と説明する。アプリは今後2〜3週間で英語、フランス語版がリリースされる予定。今回は“創刊ゼロ号”という位置づけで、「3カ月に1度のペース」(村上氏)で新たなアプリを出していきたいという。iPhoneやAndroidにも将来的に対応し、Mac App Storeでの配信も検討したいと村上氏は意気込む。

 手の込んだアプリだけに、コスト的に見合うのかが気になるところだが、「今回のアプリで採算を取るというより、新しいことに挑戦する機会が得られたことが貴重」(村上氏)。4000ダウンロード程度で外注などのキャッシュアウト分の元は取れるというが、「社内の体力でカバーした」部分が多くあるという。

 とはいえ、開発した仕様はさまざまな作品紹介に応用することができ、同社としても資産を広く生かしていきたい考えだ。すでに永青文庫のほかにもこうしたアプリを開発する予定があるという。歴史や美術、ITに関心のある層をまずはターゲットに、こうしたアプリのユーザー層が広がっていくことに村上氏は期待を込める。


 一般に手に取ることは難しい作品を詳細に鑑賞できる電子図録アプリは、文化財に限らずさまざまな作品とユーザーとの接点を広げるツールになりそうだ。また、多くの作品がこうした形で鑑賞できるようになれば、細川氏が牛車の紋を発見したように、ユーザーの思わぬ発見が世間を騒がすようなことも起こるかもしれない。

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