e-Day:Windows XPのJava騒動
| 【国内記事】 | 2001.07.19 |
米国時間の7月17日火曜日,ウォールストリートジャーナルで「Windows XPはJavaをサポートせず」とのニュースが流され,続報も相次いでいる。司法省と争う反トラスト訴訟でも先月末,コロンビア特別区の巡回控訴裁判所は地裁の分割命令を破棄したものの,Javaなどを巡ってマイクロソフトが非競争的な手段をとったとの事実認定は支持されていた。このため,中には「またもや,Javaを排除しようという新たな画策か」と,センセーショナルに報じるメディアもある。
しかし,1月に合意に達したJavaライセンスを巡るサンとマイクロソフトの和解案をもう一度振り返ってみれば,10月25日出荷予定のWindows XPにJava Virtual Machine(JVM)が含まれないことは予想の範囲内といえるだろう。
2000万ドルをサンに支払うことで決着した1月の和解案では,マイクロソフトは向こう7年間,Javaを使い続ける約束を取り付けたが,Java互換ロゴの使用は永久に禁じられ,また,マイクロソフト製のJVMは現行のVer.1.14からアップグレードすることも著しく制限されているという。
マイクロソフトのスポークスマンが火曜日夕方に出した,「われわれはスリムなOSを出荷したい」とのコメントにはいささか驚くが,段階的にJava技術を同社製品から外していくのは,これまでの経緯を思えば何も不思議なことではない。
サンにしても,1997年10月にJavaのマイクロソフトがライセンス契約に違反していると訴えたときから,彼らがJVMをWindowsに搭載しないことを予想していたはずだ。1995年12月に電撃的に合意したマイクロソフトによるJavaのライセンスは契約内容が非公開のために推測の域を出ないが,サンとしてはマイクロソフトによるライセンスを「Javaの勝利」と宣伝しながらも絶えず警戒を怠っていなかった。
1996年のFall Internet Worldでは「100% Pure Java」キャンペーンが展開され,翌年8月にニューヨークで行われたJava Internet Business Expoでは,当時シャバソフトの社長だったアラン・バラッツが,Windows用のJVMについては,サンが独自に提供していく考えを明らかにしていた。
「マイクロソフトは,(JVMを配布するうえで)チャネルの1つにすぎない。ほかのチャネルも構築して,確実にすべてのJava技術がWin32プラットフォームに出荷されるようにしたい」と彼は話している。同社がマイクロソフトを訴える2カ月前のことだった。
9月末にはマイクロソフト製のJVMを搭載したInternet Explorer 4.0が出荷され,10月の提訴となった。
12月になると,サンは春のJavaOneで構想を明らかにしていた「Java Activator」技術をFall Internet Worldで正式発表した。このJava Activator(現在のJumpstart)は,ブラウザに組み込まれたJVMを最新のJDKと完全互換のものに置き換えてくれるものだった。
IE 4.0のライセンス契約違反(Java RMIなどインプリメントされていない機能がある)が法廷で争われている中だったので,「マイクロソフト版Java」への対抗措置ともみられたが,バラッツは,「ブラウザ(のJava VM)を継続的にアップデートする方法を探していた」と否定した。いずれにせよ,配布をブラウザやOSに頼らないというサンの明確な意思表示だった。
ちなみにニューヨークのジャビッツセンターで行われたこのFall Internet World '97のキーノートにはオラクルのラリー・エリソン,AOLのスティーブ・ケース,デルのマイケル・デルらが登場し,Jasmineを発表したコンピュータアソシエイツのチャールズ・ウォンも顔を見せた。冷たい雨や時には小雪に見舞われたマンハッタンだったが,その後のドットコム隆盛への狼煙(のろし)のような盛大さだった。
その後,Javaはサーバと携帯端末で採用が進み,デスクトップの話題はあまりなくなったが,今回のWindows XPに絡む騒動は,再びJVMの互換性や配布に関する問題に焦点を当て,最新のJVMをどのように配布するかという課題をサンに突きつけることになった。
[浅井英二 ,ITmedia]
