総論:RFID報道の大間違いを正す月刊コンピュートピアから転載(3/3 ページ)

» 2004年10月12日 00時00分 公開
[土屋晴仁,月刊コンピュートピア]
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 EPCグローバル対応が必須なのは、この組織がバーコード以来の世界の流通コード規格を支配しているUCC/EANという組織と一体化したからだ。さっさとそれに対応するしかない。これならメイン情報はネット側に置かれるので、タグ自体もリーダもコンパクトなものですむ。それよりIPv6 への対応がどう進むかが、研究者以外にはさっぱり読めていないことが日本の問題だ。

 米軍はRFID 普及の先導的役割を自認しているが、彼らは同時にIPv6 対応を進めている。昨年来のイラク制圧では、武器や物資の補給が兵士の移動に追いつかなかったと認めている。だからRFID とIPv6 をセットで考える。理屈として一貫性がある。EPC 関連の報道では、日本のあるIT情報誌はピントはずれな指摘をした。日本のRFID ベンダー各社が「バスに乗り遅れるかも」風の報道をした。

 内容は、EPC グローバルが知的資産を公開・共有するポリシーを掲げ、時間的制限も設けているために各社が知財管理でもたつく可能性があるというのだ。本当だろうか? この種のことは、すでにLinux などでも経験ずみなのだからたいしたことではない。もし指摘するなら、インターネットの標準化を進めているIETF などの「コミュニティの文化」について、日本企業が無関心すぎることを書けばいい。

 インターネットで何かやろうというなら、この文化のノリについていかないと無理なのだ。そんなことまで村井氏たちの研究者グループに頼っていたら、どうしようもないだろう。

「バスはいつでも、いくらでも来る」

 もともと、そして今でもRFID は自動識別技術の進化の延長線上にある。シンプルな話だ。ところが、ユビキタスやSCM(サプライ・チェーン・マネジメント)、無線帯域の規制緩和、“食の安全性”、さらには「ダスト・コンピューティング」までがRFID に関連して話題にされる。そのこと自体は良くも悪くないが、そのつど文脈が複雑になる。

 もっと素直かつシンプルに、自動識別技術の文脈に限定して話題にすればよい。そうすれば、先に書いたように「二次元バーコードでいいじゃないか」とか「赤外線と無線LANで実現できることだった」ということがすぐわかる。

 もう少し話題を限定させよう。例えばIC タグは技術者の分類に沿うと、伝送媒体方式、情報記憶方式、電源方式などの違いごとに数百もの種類になってしまう。しかし、本命筋の製品はせいぜい3つか4つの種類に絞られるはずだ(EPC グローバルの標準化規格は5 種類)。それらを的確にネーミングして話をわかりやすくすべきだろう。使い方については、バックヤード業務限定、社外には出ないクローズド・ネットワーク限定が現実的なシナリオであることをもっと強く言わねばなるまい。

 POS レジ以降の、エンドユーザーを巻き込んだ「トレーサビリティ」なんて話は何年も先のことになる。また、何でもケータイと結びつけてアプリケーションや将来マーケットを語るのも無用だ。官製情報を増幅するだけの「日の丸記事」も最小限でいい。

 ましてや、「20XX 年には、RFID 市場は○○兆円になる」なんていうアホくさい予測は無視するに限る。かつて通産省は、「マルチメディア市場が2010年には123兆円になり、243 万人の雇用を生み出す」と予測した。どこにそんな市場があるのやら……。(図3)

図3.「風船おばけ」になったRFIDの話題

 なかでも読むにも聞くにも値しないのは、「バスに乗り遅れるな」風のもの言いである。冗談ではない、「バスはいつでも、いくらでも来る」のだ。むしろ怖いのは“乗り間違い”だろう。

情報とつきあう、情報を使いこなす能力

 RFID の本質は、もっぱら無線デバイスやリーダなどのハードウェアや組み込みOS 役と思われている。これはユビキタスID 側に多い。EPC グローバル側は、基幹システムとインターネットを繋ぐミドルウェアやXMLが主役だと思っている。でも、気になるのはこのどちらでもない。普通の人、普通の企業の「情報とつきあう、情報を使いこなす能力」を問う仕組みなのだ。モノに付けられているにせよ、一旦ネットに繋いでサイトに誘導するにせよ、最後は人が判断するための情報になる。

 それは、だれが、何のために、どういう情報を必要としているかを熟知していなければならないはずであり、RFIDとかの問題以前のことだ。一例をあげよう。レトルトハンバーグの石井食品は、自社の無添加食品についている品質保証番号と賞味期限を入力すると、原料・原産地、農薬検査状況、アレルゲン情報などが得られるようにホームページを工夫している。RFIDとは関係ないが、本質をつかんだ情報公開の一例と言える。

 こういう目には見えにくい知的なインフラが整備されないうちは、タグ情報は限られた用途になる。整備が進むにはまだまだ時間がかかる。順序として、「情報とつきあう、情報を使いこなす」ためのいろいろな蓄積や挑戦を先に進めねばならない。

RFIDの拡散状態から3極への再集合へ

 ここまでガミガミと長屋の隠居みたいなことを書いてきた。冒頭で文章を引用した趣旨とは矛盾するようだが、くどくどしい説明をばっさりと省いたために、わかる人にしかわからないような記述になってしまったかもしれない。言いたいことをまとめると、「RFID の話は、自動識別技術の文脈で話せ」「あれもこれも盛り込んで“風船お化け”(そんなのあったっけ?)にするな」ということだ。

 何らかの整理のものさしや先の見通しを添えて、シンプルでも本質的な話を進めやすくすべきだと思う。モノがますますスマートに(賢く)なり、便利になるのは良いことだ。

 またインターネット経由で無駄の少ない情報のやり取りが進むのも良い。RFIDは、この趨勢に添う技術である。だが、メガ級のトレンドを形成するようなものではない。すでにRFID の概念が拡散・肥大し、さまざまな誤解・思惑・誤用が起きている。過渡的なキーワードだからだ。次にどうなる?

 拡散した細片の一部は便利になったモノや装置であり、これは「スマート・デバイス」というような極に集まるだろう。別の一部は情報管理の自動化および最適化に繋がるもので、これは「オプティマイズ・ネットワーク」とでも呼ぶべき極に集まるだろう。そして最後のものは情報そのものの意味づけや関連付けに役立つ処理で、これは「コンテキスト・サービス」というようなものに集まると考えている。

 ネーミングはいい加減につけてみたが、3 つの異なるカテゴリーになると言いたいのである。そしてその頃には、だれもいちいち「あれはRFID 技術を使ったもので、云々」などという話はしなくなる……、のではないかな。(図4)

図4.拡散から3局の再集合へ

 最後に、冒頭と同じ『徒然草』の次の段(第79 段)も紹介しておかないとまずかろう。何だか偉そうに語ってしまったことを恥じつつ……。

 「よき人は知りたる事とて、さのみ知りがほにやはいふ。片田舎よりさしいでたる人こそ、萬の道に心得たるよしのさしいらへはすれ」以下、意訳。「賢い人は知っていることでもそんなに知った風にはいわない。田舎モンに限って、何でも知っているかのような顔をするものだ」

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