どうなる? オープンソースのコミュニティー(2/3 ページ)

» 2005年06月13日 18時30分 公開
[Matt-Asay,japan.linux.com]

コミュニティーのキャパシティは十分か?

 これを考えるには、「オープンソース・コミュニティーが力尽きてしまったらどうなるか」について考えてみる必要がある。

 当時の開発者たちも最近では皆、オープンソースをベースにビジネスを築いているようだ。かつて自分達がプロジェクトに貢献したことを神話か何かのように勘違いしている者は、そう多くはいないだろうが、彼らは今でもコミュニティーを通じてコードを提供したり、有益なアドバイスを公開したりしている。これも初めのうちはよいが(いや、そうでもない。誰にも相手にされないまま、コードもなければ何の活動も、そして未来さえもないプロジェクトがSourceForge.netにも多数存在する)、オープンソースディストリビューションや成果物を利用しようと誰もが一斉に群がったとしても、やはりうまくいくだろうか。

 開発者は足りているのだろうか。仮に足りているとして、先に述べた問題について考えて見よう。「コミュニティー」は変わりつつあるようだが、その分散し断片化した開発者から恩恵を受ける人などいるのだろうか。

 ある広告板は人通りの多い場所にあり、多数の広告板に混ざって置かれている。別の広告板は人通りのない離れた場所にぽつんと置かれている。後者の方が印象に残るに違いない。

 あるいはハイウェイ101が10もある場所を想像して欲しい。ただうるさいだけだ。あまりの騒音に頭が痛くなるだろう。

 時流に乗ったオープンソースを利用する新興企業や、あるいは各社の戦略によって、ただでさえ比較的希薄なオープンソース・コミュニティーが拡大されることになれば、コミュニティーは雑多な「広告板」でドロドロになってしまうかもしれない。そうなると、オープンソースプロジェクトのサポートが融合しにくくなり、エンドユーザーは泥沼の選択を迫られることになる。

 もちろん、オープンソース開発者やその他のメンバーの数が急増し始めたのは最近のことだ。決して飽和状態にあるわけではなく、大方はうまく機能しているだろう。結局のところ、オープンソース・コミュニティーは生産性を高めている途中なのだ。人が増えれば成果も増え、生産性も上がるというわけだ。

 だが、短期的に見ても、さまざまな企業やコミュニティーが自分たちのプロジェクトや製品開発をせっせと進めるがために、発展途上のオープンソース・コミュニティーは「騒音」にかき消されてしまうのではないかと、わたしは徐々に不安を感じている。そうなったとき、オープンソースの営業努力や宣伝努力に対して支払われる資金は(現状、従来型のソフトウェアモデルのそれよりはるかに少ないが)少ないままでいられるだろうか。いられなければ、オープンソースのディストリビューション戦略は当初予想したほど効率的ではなくなってしまう。

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