AMDが主張する“Intelの悪行”の数々

IntelはAMDと取引しないことを条件に現金を提供し、CEO自らAMDプロセッサを支持しないよう脅しをかけた――AMDは訴状の中で、Intelがベンダーに対して行ってきた不公正な慣行を告発している。(IDG)

» 2005年06月29日 13時00分 公開
[IDG Japan]
IDG

 AMDとIntelの戦いが、ついに本気のぶつかり合いに発展した。

 AMDは6月28日、Intelに対して起こした独禁法訴訟の詳細を明らかにした(6月28日の記事参照)。同社はデラウェアの米連邦地裁に訴状を提出し、Intelが独占的立場を濫用して競争を抑制し、マイクロプロセッサ市場での支配力を維持したと申し立てた。

 この申し立ての中心となっているのは、日本の公正取引委員会が同国でのIntelの商慣行について記した3月の排除勧告だ。AMDは48ページにわたる訴状の中で、何度かこの勧告の事実認定を挙げている。この勧告書は、Intelが日本の独占禁止法に違反したとの結論に至った11カ月にわたる調査の最後に公取委が発行したもの(3月8日の記事参照)

 「公取委の排除勧告が1つの引き金になった」とAMD東京オフィスの広報担当者マリ・ハヤシ氏は語った。

 公取委は排除勧告の中で、Intelが大手PCベンダー5社に対し、Intelプロセッサのみを採用するか、あるいは競合他社のプロセッサの採用を10%までに抑えることを条件に、リベートや資金を提供したと述べている。これにより、Intelの日本における市場シェアは2002年から2003年にかけて76%から89%に上昇したと勧告書には記されている。

 これに対し、Intelは公取委の排除勧告に反対する声明を出したが、最終的には勧告に応諾し、正式な異議申し立てを行わないことにした(4月1日の記事参照)

 AMDは独禁法訴訟の訴状の中で、Intelを、金銭的なインセンティブと脅し――訴状では「knee-capping(ひざを撃つ)」と呼ばれている――を組み合わせて、顧客にAMD製品を買わせないよう圧力をかける業界のいじめっ子として描いている。

 「共同マーケティング資金については以前から疑問があった。Intelがこれを利用して大幅な値引きを行い、Intel製品のみを採用している企業にこの資金の支給を限定しているのではないかという疑問だ」と調査会社IDCのコンサルタント、クリス・イングル氏は指摘する。

 AMDは訴状の中で、サンノゼのハイエンドサーバメーカーSupermicroが、AMDのOpteronを搭載したサーバの開発計画をIntelに知られることを恐れて、開発チームを密かにメイン製造施設の陰の建物に移したと申し立てている。SupermicroはOpteronサーバをリリースしたとき、その流通を60社の顧客に制限し、宣伝は「機密」マークのついたパンフレット――Supermicroの社名も載っていなかった――で行った。

 28日の時点では、SupermicroのWebサイトを検索してもOpteron搭載製品に関する記述は出てこなかった。

 AMDの訴状からは、同社が新たなビジネスをつかみ取るために、どれだけの期間を惜しまず投じていたかもかいま見える。AMDが2002年、Hewlett-Packard(HP)の企業向けデスクトップPC「Evo」にプロセッサを供給しようとしたとき、Intelの報復を予期したHPは、その埋め合わせとして四半期に付き2500万ドルを支給するようAMDに要求したという。AMDはその代わりに、最初の100万個のプロセッサをHPに無料で提供することに同意した。

 訴状によれば、HPがAMDプロセッサ搭載製品を立ち上げ前夜に公表した時、Intelは、EvoシリーズへのAMD参入を「マグニチュード10」の出来事だと考えているとHPに告げた。その結果、HPは無料プロセッサのうち16万個しか使わなかったとAMDは主張している。

 Intelが企業に現金を渡してAMDと取引しないよう説得したとの申し立ても見られる。例えば2001年に、当時GatewayのCEOだったテッド・ウェイト氏は、AMDと取引しないことを条件に「多額の金」を提供されたとAMD幹部に明かしたという。

 「わたしは黒字復帰の道を見つけなければならない。あなた(AMD)を捨てれば黒字になるというのなら、わたしはそうする」とウェイト氏は語ったと訴状には書かれている。

 その後間もなく、GatewayはIntelプロセッサを搭載したコンピュータのみを提供するというプレスリリースを発行し、2001〜2004年までその慣行を続けたという。

 訴状によれば、AMDは2004年に再びGatewayとの関係を築こうとしたが、あまりうまくいかなかった。Gatewayは米小売業者Circuit City Stores向けのPCラインにAMDプロセッサを採用した。ただしGateway幹部は後にAMDに、Intelの報復でめためたにやられたと話したと訴状には書かれている。AMDは今もGatewayの大半の製品ラインから閉め出されている、とも。

 AMDの訴状は業界の歴史を深く掘り下げ、HPに2001年に買収されたCompaq Computerにも触れている。それによると、IntelはCompaqがAMDと取引したことに対する報復として、Compaqへのサーバプロセッサ供給を差し控えた。その結果、当時CompaqのCEOだったマイケル・カペラス氏は、「頭に銃を突きつけられている」として、AMD幹部にプロセッサ購入をやめると告げたという。

 IntelからAMDとの取引に対して報復の脅しをかけられたとされている上級幹部はカペラス氏だけではない。

 2003年9月に、Intelの前CEOで現会長のクレイグ・バレット氏は、Acerのスタン・シー会長などの上級幹部を訪ねて、AcerがAMDのAthlon 64プロセッサ立ち上げを公に支持すれば、「重大な結果」を招くと脅したと訴状にはある。バレット氏の訪問の結果、AcerはAthlon 64立ち上げへの参加を見送り、同プロセッサ搭載PCの発売を遅らせた。

 AcerのJ.T.ワン社長は後に、Intelの脅しについて、「通常なら(CEOではなく)もっと低いポジションの幹部が行うはず」だということ以外、いつもと違うことは何もなかったと話したと訴状には記されている。

Copyright(C) IDG Japan, Inc. All Rights Reserved.

注目のテーマ