オープンソース版ゴースト・ストーリー(2/2 ページ)

» 2005年08月30日 00時17分 公開
[Joe-Barr,japan.linux.com]
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対立解消に向けた動き

 g4lプロジェクトの周囲には道理のわかる人間がいないかのように思えたそのとき、行動を起こした人物がいた。Michael Setzer氏である。同氏は自身を含むユーザーが必要としていた修正をg4lに施した。プロジェクトは当時オープン・アップロード方式を採用していたため、Setzer氏は自分のバージョンを公開できたのだった。nmeとFrank Stephen氏の2人の作者は最終的にSetzer氏に連絡を取り、Setzer氏だけがこのプロジェクトに新しいリリースをアップロードできるようにしたのだった。

 Setzer氏が行った変更の中で最も重要なものは、おそらく、Hubert Feyrer氏とg4uに対する言及であろう。あまりにも遅かったが、ついに掲載されたのである。g4lの現行バージョンは、その最初の画面で次のように宣言している。

Disclaimer concerning Copyright: Prior version(s) of g4l appear to have been based on G4U (Ghost for Unix) a NetBSD-based bootfloppy/CD-ROM by Hubert Feyrer (hubert@feyrer.de) Copyright (C) 1999, 2000, 2001, 2002,2004

G4U: http://www.feyrer.de/g4u/ http://www.feyrer.de/g4u/g4l.html

 この宣言に続いて記されたプロジェクトの歴史には、当初からの管理者およびリリースが明記されている。賞賛すべきことに、Setzer氏はFeyrer氏のコード分析のページにさえリンクを張った。

 大きな前進ではある。しかし、これはFeyrer氏が期待していたことではない。同氏が望んだのは、両方のライセンスに準ずることなのだ。

 g4lに挿入したこの宣言について、Setzer氏にメールで尋ねたところ、次のような回答があった。

何とか妥協点を見つけようとしたのですが。当時は、g4lの2人の作者のどちらとも接触はありませんでしたが、g4uの作者Feyrer氏からは前向きの返事をもらっていました。しかし、Feyrer氏の返事は基本的にオリジナルとして認めることであり、最新のコードは見てもいないということでした。打つ手がなくなり、あの宣言を入れたのです。そして、問題をユーザーの判断に任せることにしました。ユーザーは問題ありと見れば、g4lを使わないでしょう。しかし、この問題についてはよくわからず、最終的な判断はできません。

汚されたコード

 g4lの原作者たちがg4uを基に作成したというクレジットを頑なに拒否している現状では、これが精一杯のことなのだろう。Setzer氏はどちらを弁護することもできず、Feyrer氏の望みを叶えることもできない。一方、Feyrer氏には、g4lの最新コードに自身の作品が残存しているかどうかを調べる時間的余裕がない。

 この物語を語り終えた今、印象として残るのは、何かが――手に触れることのできない何かが――奪われたという思いである。フリーソフトウェアの作者が手にする最大級の見返りは、みんなの役に立つことをしたのだという喜びと、人々がその作品を基に拡張していくのを見るという満足感であり、誰かが自分の作品を取りそれを自分の作品だと主張するのはその喜びと満足感を奪う行為である。

 こうしたフリーソフトウェアの成り立ちを的確に表した言葉がある。それは万有引力を発見した物理学の泰斗アイザック・ニュートンが430年前に語ったという言葉であり、オープンソースに携わる人々が好んで引用する言葉である。「もしわたしに他の人々よりも遠くが見えたのだとしたら、それはわたしが巨人たちの肩に乗っていたからでしょう(わたしが人並み以上のことをしたのだとすれば、それは先人の残した業績があったればこそのことです)」。このゴースト・ストーリーには、少なくともSetzer氏が現れるまで、この崇高な思想は見あたらない。そのことこそが、このプロジェクトに拭い去ることのできない汚点を残したのである。

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