現実的な理想主義GPLv3-Conferenceリポート1(2/5 ページ)

» 2006年01月30日 16時30分 公開
[八田真行,japan.linux.com]

開始直前の会場にて

 会場として用意されていたのは、二階のひときわ大きな教室であった。9時開場というのを開始と間違えていたため(開始は10時)、早く着き過ぎてしまい時間を持て余す。会場外の廊下には受付とともに、今回のイベント向けに作られたGPLv3 Tシャツの販売ブースや、コーヒーなど無料の飲物が用意されていた。ちなみに、MITでは筆者のような訪問者であっても、簡単な登録をするだけでほぼ全学に渡って無線LANを利用できる。しばらくするとリチャード・ストールマン氏やエベン・モグレン氏といった今回の主役を始め、「オープンソースの定義」(OSD)を書いたブルース・ペレンス氏、Sambaの作者アンドリュー・トリジェル氏やジェレミー・アリソン氏など、FLOSS界の有名人が多数集まってきて、ちょっと見回しただけでもなかなかなかの壮観。開発者コミュニティーにおけるGPLv3への関心の高さを示していた。筆者は旧知のペレンス氏やDebian開発者のクリント・アダムス氏らと談笑しつつ会議開始に備えていたが、そもそもGPLv3への関心が高いのか、はたまたドラフトが当日まで非公開だったことが功を奏したか、会議開始までには大教室がほぼ満席という盛況ぶり。

会場前の様子 会場前の様子。奥にトリジェル氏の姿が見える
会場の様子 会場の様子。筆者が到着したときに撮ったのでまだ閑散としている

 会場に設えられたスクリーンには、会議開始までMySQLやSambaなどGNU GPLが適用された有力オープンソース・ソフトウェア開発プロジェクトのロゴが次々と映しだされ、その影響力の大きさを誇示していた。また、米国以外における協力プロジェクトとして欧州のFSF Europeや我らが日本のフリーソフトウェアイニシアチブジャパン(FSIJ)のロゴも映し出され、自由なソフトウェアにまつわる運動の国際的な広がりをも示していたものだ。なお日本からの参加者は、企業の関係者を除けば筆者とFSIJの理事長でもあるg新部裕氏のみだったのではないかと思う。欧州やラテン米国からの参加者の多さと比べ、日本を含めたアジア勢の少なさ(というよりほぼ皆無)が気にかかった。

会場の大スクリーン 会場の大スクリーン

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