カタカナが入力できる機種が発売されると、ポケベルブームはさらに加速した。始めのうちは、文字の変換表を小さくコピーして、定期ケースに入れていたが、記憶力も良い頃だから、すぐに変換表がいらなくなった。テレメッセージとNTTドコモの両方の端末に、ハートマークのメッセージを送ることが出来るなんて常識だった。
この時期(1995年)くらいから、ポケベルはさらに低年齢層にまで広まって、中学校の公衆電話では休み時間になると、公衆電話からポケベルにメッセージを送りたいという生徒の行列がいつも出来ていた。ついには、電話の台数を増やしただの、先生や親が「けしからん」といって、公衆電話が撤去された話も飛び出した。人のことは言えないが、みんなは一体誰に、そんなにたくさんのメッセージを送っていたのだろうか。
常にポケベルのメッセージ保存件数には注意を払っていた。保存できる件数が少なかったから、メッセージを削除できないように保護するという考えが自然に身に付いていて、不要なメッセージはすぐに削除した。確か私の使っていた端末は、30件ほど保存でき、15件までは保護ができたと思う。数字だったり、カタカナだけだったり、すごく短いメッセージばかりだったが、その頃の私にとっては、今のメールよりもずっと重みのあるメッセージばかりだった。
「ベル友」という言葉も一般的になった。みんながポケベルを持っているからこそ、逆に自分だけにメッセージが送られてこないと寂しい思いだった。それが嫌だから、メッセージのやり取りをしてくれる人を探す。思いついた番号にメッセージを送ってみて、返事が来るのを待つ。今にして思うと、ただの迷惑メールだが、ちょっと運命的なドキドキ感があった。
今回のタイトルになっている「ポケベルが鳴りすぎて」は、ポケベル全盛期に日本テレビ系でオンエアされていた「ポケベルが鳴らなくて」というドラマのタイトルをもじったもので、同名の主題歌もヒットしていた。それほどまでにポケベルが生活の中に浸透していたという証拠だろう。
途中からキャリアの戦略もいろいろな方向性が出てきた。NTTドコモのポケットベルあてに短いメールを送れたり、ニュースなどが自動的に配信されるビジネスマン向けのサービスなどが良い例だ(インフォネクストサービス)。また、テレメッセージは、若者向けのコンテンツを充実させて、おしゃれでポップなイメージを打ち出していた。
後編は、私がポケベルのヘビーユーザーとして利用したサービスやコンテンツ、そして運営サイドになって仕事をした、思い出のあるコンテンツについて振り返りたい。
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