説明会の冒頭では関本忠弘社長(当時)が「PCの高性能化、利用環境は一層の広がりをみせている。当社ではPCのさらなる発展に思いを込めてNESAを開発した。ぜひその意気込みを感じ取っていただき、NESA用製品の開発をお願いしたい」と力を込めて挨拶。高山由パーソナルコンピュータ販売推進本部長(当時)も「NESAは90年代に向けた当社の新しいエポックメーキングな技術。トップメーカーとして今後もPCの新しい利用環境を開拓していきたい」と意欲のほどを示していた。
さらにNECからひと通りの説明が終わると、米マイクロソフトのビル・ゲイツ会長がビデオで登場し、同社とNECの強力なパートナーシップを印象づけていた(ゲイツ会長の若いこと!)。
筆者の記憶が正しければ、当時の関本社長がPCの発表会に姿を見せたのはこれが初めてだった。それもそのはず、当時のPC-98はNEC全体で見ても相当な稼ぎ頭だった。今振り返ってみると、事業としてのすさまじい勢いはこのころが全盛期だったのかもしれない。
しかし、何事も全盛期の後には転機がやってくる。くしくも同じ89年、のちにこの市場に新たなトレンドを生み出した東芝のノートブック型PC「dynabook」が登場。90年代に入ると国内外のIBM互換機陣営の影がひたひたと忍び寄り、92年の「コンパック・ショック」につながった。
そして今。前述のとおり、NECは国内でこそ健闘しているものの、ワールドワイドではDELLに及ばないのは誰の目にも明らかだ。あえて言うならPC/AT互換機ビジネスの優劣もほぼ決着した。では、今回ご紹介したイベントに象徴されるPC-98全盛の時代とは何だったのか。筆者は今でもこう確信している。“偉大なる凡機”は日本のIT化にとって必要不可欠な存在だったと。
このコンテンツは、月刊サーバセレクト2005年10月号の記事を再編集したものです。
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