Sunによるソースコードの公開から1年――Javaコミュニティーの動向Focus on People(1/4 ページ)

SunからJavaのソースコードが公開されて1年が過ぎたが、その後の経過はどのようなものだろうか? フリーJavaコミュニティーの中枢部で活動している開発者に、その現状を聞いた。

» 2007年12月17日 00時00分 公開
[Open Tech Press]
SourceForge.JP Magazine

 Sun MicrosystemsからJavaのソースコードが公開されて1年が過ぎたが、その後の経過はどのようなものだろうか? エンドユーザーにこうした質問をしたとしても戸惑わせるだけだろうが、フリーJavaコミュニティーの中枢部で活動している開発者であれば、1年経った現在も開発活動の見直しに忙殺されているコミュニティーの現状をつぶさに語ってくれるに違いない。

 Sunによるこの件がアナウンスされたのは2006年11月13日のことだが、それ以前から活動していた各種のフリーJava系プロジェクトは、OpenJDKコミュニティーに合流するか、あるいは独自の代替コード開発活動を継続するかの選択を迫られることになったが、いずれにせよ彼らの眼前には膨大な量のソースコードが公開されたのである。一方のSun内部においても、より大きな外部コミュニティーとの交流チャンネルが形成されたことで、Java系エンジニアが既存プロセスの見直しを進めるようになっている。現状で確認できる問題点としてはOpenJDKという組織の運営や負の遺産と化した既存コードの整理などが存在するし、またネットワークを検索すれば各種の批判意見が見つかるはずだが、Javaの開発に携わる人々の間では楽観的なムードが満ちているように感じられる。

 隔世の感があるとはこのことだろうか。Sunに対するJavaコードの公開を求める要望は何年もの間コミュニティー側から出され続けていたが、いざ最終的にSunがコード公開に踏み切ると、その発表は慎重な態度で受け取られ、それは一部のコード公開だけにとどめるられたという点で特に顕著だった。こうしたコミュニティー側の雰囲気が形成された原因の一部は、2007年2月に開催されたFree and Open Source Software Developers' European Meetingにてコミュニティーの開発者とSunの技術者が最初に対面した際の出来事にあるだろう。SunにてJavaチーフエンジニアを務めるマーク・ラインホルド氏は、コミュニティー側が歩み寄りの姿勢に偏り始めたのは、残存コードの大部分が公開されたその6カ月後のJavaOneカンファレンスころであったと見ている。

 同氏によると、それ以前にOpenOffice.orgやOpenSolarisなどに向けてSunがソースコードの公開をしていたことが、今回の緊張をある程度緩和していたはずだということになる。「こちらもOpenSolarisの関係者からは、多くのことを学ぶことができました」とラインホルド氏は語る。また同氏は、SunがJavaコードの一部を未公開にしておく口実にすぎないと誹られたJava Research Licenseについても、今にして思えばこれが一種のリハーサルとして機能し、Sun内部のスタッフが外部の人間との交流法を学ぶよい機会になったとしている。

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