ここまで、企業ユーザーがこのように二極化していった背景には、上記のように情報システム部門を取り巻く外的、内的要因があると述べた。それ以外にも、システム構築を請け負う側、つまりベンダーに責任はなかったのだろうか。
これに関して、わたしがJUASで企業調査を行っていた折に随分と目にしたり耳にしたことが参考になるのかもしれない。
わたしがJUASの調査を担当していたのは1994年から1998年の4年間。それは上記した企業内に大量のPCクライアントが導入されるその時期に時を同じくした。同時期にいわゆる「ネオダマ」(ネットワーク、オープンシステム、ダウンサイジング、マルチメディアの頭文字)を旗印に企業内のシステム革新が進む最中であった。
当時、新しい概念は常に外資系のベンダーからもたらされ、国内ベンダーは常にその動きを追いかける立場だった。外資系ベンダーからシステム供給を受けるユーザーは、世界の最新動向という刺激を常に受けていた。
これに対し、国産機のユーザーは最新動向を入手するタイミングが遅れてしまっていた。しかも、米国系ベンダーのユーザーは大概業種を代表する企業が多いので、ライバル企業より常に競争優位の立場にある。通常、情報システム予算はライバルより潤沢な場合が多い。こうして、業種筆頭の企業はIT投資でも常に有利な立場をキープする結果となった。
もちろん、この状況を何とか打ち破ろうとする試みもあった。その典型的な例がオープン化だ。NECは特に熱心でIBM対オープン系あるいはマイクロソフトという現在の対立構図を日本にも持ち込んだ点では評価できる。しかし、それも本格的な製品開発競争では少しずつ後れを取るようになり、一部の例外を除き、国産ベンダーのハードウエア競争力は次第に失われていった。
また、ハードウエアの価格競争はハードウエアに収益の源泉を頼っていた国産ベンダーの体力を奪い、ソフトウエアあるいはミドルウエアに競争の中心が移るようになった。特にオープン系に関しては、日立のJP1のような例外はあるものの、ほとんどは競争にもならなくなった。
国産ベンダーは21世紀に入り、システムインテグレーターとして活路を見出すしか選択枝が残されていなかった。
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