連載
» 2009年08月17日 14時40分 UPDATE

オープンソースソフトウェアの育て方:「フリー」と「オープンソース」の違い (1/2)

これからオープンソースプロジェクトを始めようと思っている、あるいは始めてはみたもののどうすればいいのか分からないソフトウェア開発者や管理者必読の本連載。オープンソースそしてフリーソフトウェアプロジェクトについて余すところなく解説します。

[Karl Fogel, ]

「フリー」と「オープンソース」の違い

 産業界がますますフリーソフトウェアに注目するようになると、プログラマーたちはまた新たな問題に直面することとなりました。その1つは「フリー」という言葉の意味についてです。

 「フリーソフトウェア」という言葉を聞いて、多くの人がそれを単なる「無料のソフトウェア」というように勘違いしてしまいます。確かにすべてのフリーソフトウェアは無料ですが、*1無料のソフトウェアがすべてフリー(自由)であるとは限りません。

 例えば、1990年代のブラウザ戦争の際にNetscapeとMicrosoftはともにブラウザを無償でばらまき、市場のシェアを獲得しようと躍起になりました。このどちらのブラウザも、“自由なソフトウェア”という意味でのフリーではありませんでした。そのソースコードを見ることができなかったり、あるいはたとえ見ることができたとしてもそれを改造して再配布する権利がなかったりしたのです*2。できることといえば、実行ファイルをダウンロードして動かすことだけでした。これらのブラウザには、店頭で箱売りされているソフトウェア以上の自由などありませんでした。単に価格が安かっただけです。

 この「フリー」という言葉が混乱を招く原因は、不幸にもこの英単語がいろいろな意味を持ってしまっていることにあります。ほかの大半の言語では、価格が安いことと自由であることは簡単に区別できるでしょう(例えばロマンス諸語を話す人にとってはgratisとlibreの違いは明確です)。しかし、英語がインターネット上での標準言語として使われている現状では、英語の問題は、ある意味ではすべての人たちの問題であるともいえます。この「フリー」という言葉の意味の履き違えがあまりにも広まってしまったので、フリーソフトウェア開発者は決まり文句をつくり出しました。

 “フリー(free)とは、自由(freedom)のことです。つまり、フリースピーチ(言論の自由)というときの「フリー」であり、フリービール(無料のビール)というときの「フリー」とは違います”しかし、何度も何度もこれを説明しなければならないのは大変です。多くのプログラマーが、この「フリー」というあいまいな単語のせいで自分たちのソフトウェアが世間に正しく理解されないと感じるようになりました。

 しかし、問題はもっと深いところにありました。「自由」という言葉には道徳的な意味が含まれています。自由であることが目的なのならば、フリーソフトウェアがよりよいものになろうが特定の状況において特定のビジネスで有益になろうが、そんなことはどうでもよかったのです。単にその動機にちょっとしたよい副作用があっただけです。心底は技術的でも商業的でもなく、道徳的な動機だったのです。さらに「自由という意味のフリー」という立ち位置は、フリーなプログラムのサポートもしたいが別の独占的ソフトウェアの商売も続行したいという企業にとってはちょっと不便なものでした。

 このジレンマは、すでに自己喪失状態になっていたコミュニティーに突き刺さりました。実際にフリーソフトウェアを書いているプログラマーたちは、仮にフリーソフトウェア運動全体としての目標があったとしてもそのために一致団結することはありませんでした。彼らの考えには両極端のものがあったといってしまうのもちょっと違います。そんなふうに言ってしまうと、まるで彼らの違いが単一の基準だけに基づくものだと勘違いされてしまいます。しかし、ささいな違いを取りあえず無視するなら、彼らの考え方は大きく2種類に分けることができます。

 一方のグループはストールマンの考え方に共鳴する人たちです。ソフトウェア自由に共有できて自由に改変できることこそが最も重要で、自由について語ることをやめた瞬間に本質的な問題から離れることになります。もう一方のグループは、ソフトウェアそのものこそが最も重要であると考えており、独占的ソフトウェアを敵視するような考え方は好みません。すべての人がそうだというわけではありませんが、プログラマーの中には、作者(あるいは雇用主)は再配布権をコントロールできるようにすべきだと考えている人たちもいます。再配布権を考える際に、道徳的な視点は不要だということです。

 長い間、これらの違いをきちんと調べたりあえて明確にしたりすることはありませんでした。しかしフリーソフトウェアがビジネスの世界に広まっていく中でこの問題は避けられないものとなってきたのです。1998年に、「フリー」にかわる言葉としてオープンソースが登場しました。これは、後にOpen Source Initiative(OSI)となるプログラマーの集団が定義したものです。OSIは、「フリーソフトウェア」という言葉が混乱の元であるというだけでなく、「フリー」という単語が、より全般的な問題の徴候の1つであると考えました。フリーソフトウェア運動をより広めるためには、何らかのマーケティング戦略が必要です。しかし、道徳だの社会全体の利益だのといった言葉は決して重役会議で扱われることはありません。OSIはこのように言っています。

Open Source Initiativeはフリーソフトウェアのマーケティングプログラムです。イデオロギーについて熱弁をふるうのではない、手堅く実際的な立場において「フリーソフトウェア」を広めるためのものです。勝算のある中身はそのまま、勝ち目のない態度や象徴主義を変えたのです。……

ほとんどの技術者にとって、必要なのはオープンソースの概念ではなくその名前についての説明です。なぜ旧来の「フリーソフトウェア」ではなく「オープンソース」なのでしょうか?

直接の理由の1つは、「フリーソフトウェア」という言葉が誤解を受けやすく、混乱の元になるということです。……

しかし、名前をつけなおした真の理由は、マーケティング上のものです。わたしたちは、フリーソフトウェアの概念を一般の業界にも広めようとしています。わたしたちは素晴らしい製品を持っています。しかし、過去においてはわたしたちの立場はひどいものでした。「フリーソフトウェア」という言葉はビジネスマンの誤解を招き、反商業主義だとか、時には盗人呼ばわりされることもありました。

大手企業のCEOやCTOは、決して「フリーソフトウェア」を購入することはありませんでした。でも、いままでとまったく同じ考えの下で同じ人たちが作り、同じライセンスを適用したものの名前を「オープンソース」と変えたらどうなるでしょう? 彼らはそれを購入してくれるのです。

ハッカーたちにとっては、これは信じがたいことでしょう。技術者というのは、具体的で中身のあるものに置き換えて考える傾向があるからです。しかし、何かを売るときにはイメージというものが重要なのです。

マーケティングにおいては、見た目が重要となります。わたしたちが進んでバリケードを取り壊し、喜んで産業界と一緒に仕事をしようとしているように見せることは、わたしたちの実際の振る舞いや信念、そしてソフトウェア自体と同じくらい価値のあることなのです。

http://www.opensource.orgより引用。いやむしろ以前はそこにあった、というべきでしょう。OSIはこのページを削除してしまったようですが、こちらこちらで今でも見ることができます)

 この文には、さまざまなツッコミどころがあります。まず、「わたしたちの信念」とは書かれていますが、その信念とはいったい何なのかということは巧妙に省略されています。ある人にとっては、オープンソースの手法はよりよいコードを生み出すという信念かもしれません。あらゆる情報を共有すべきだという信念の人もいるかもしれません。「盗人」という言葉は、(おそらく)違法コピーのことを指しているのでしょう。この言い方には異議がある人も多いことでしょう。元の所有者がまだそれを保持しているのだから「盗人」はおかしいのではないかと思われるかもしれません。フリーソフトウェア運動が反商業主義だと非難される可能性については説明していますが、その非難が何かの事実に基づくものなのかどうかには触れていません。

 別に、OSIのWebサイトが矛盾していて紛らわしいといっているわけではありません。そうじゃないんです。これまでのフリーソフトウェア運動が欠いてきたものだとOSIが主張する、まさにそれの例になっているんです。そう、「よいマーケティング」です。「よい」とは、「業界で生き残っていける」という意味です。OSIは、多くの人々に彼らが待ち望んでいたものを与えました。道徳的な十字軍ではありません。フリーソフトウェアによる開発手法や経営戦略を語る上で必要な言葉です。

 Open Source Initiativeの登場によって、フリーソフトウェア界の情勢が変化しました。長い間うやむやにされてきた両者にきちんとした名前をつけ、内部の政治的な問題と同様に外部的な問題としても認識させるようにしました。現在への影響は、両者が共通の背景を持つようになったということです。

 多くのプロジェクトは両方の陣営のプログラマーを含んでおり、またどちらに属するかはっきりしない参加者も同じくらい存在します。これは決して、道徳的な話がなくなったというわけではありません。例えば、例の「ハッカー倫理」は今でもたまに話題にのぼります。ただ、フリーソフトウェア/オープンソースの開発者が、プロジェクトのほかのメンバーに対してプロジェクトに参加する動機をおおっぴらに尋ねることはほとんどなくなりました。貢献した人ではなく貢献の内容で評価されるようになったのです。

 だれかが素晴らしいコードを書いたとしましょう。その人に対して「道徳的な理由でそれを書いたの?」とか「金で雇われて書いたの?」「名前を売るため?」といった類のことは聞きません。単にそのコードの内容を技術的に評価し、技術的に答えを返すだけのことです。Debianプロジェクトは100%フリー(もちろん「自由」という意味です)なコンピュータ環境を作ることを目標としていますが、このように政治的な態度を明確に打ち出している組織でさえも、フリーでないコードも提供しています。また、方向性が完全に一致しているわけではないプログラマーとも共同作業をしています。

[1] フリーソフトウェアを配布する際に代金を徴収することもあるかもしれません。しかし、購入した人がそれを他人に無料で再配布するのを禁じることはできないので、結局のところ価格は無料同然となります。

[2] Netscape Navigatorのソースコードは、結局は1998年にオープンソースライセンスの下で公開されることとなりました。これを基にして作られたのがMozilla Webブラウザです。詳細はhttp://www.mozilla.org/をご覧ください。


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