勝利への執念、筑駒パ研が世界で魅せたスーパープレイImagine Cup 2010 Report

ポーランドで開催中の「Imagine Cup 2010」。ソフトウェアデザイン部門のラウンド1に臨んだ日本代表は、激流のような日々を過ごした成果を世界に示した。可能性の限界を求めた彼らに勝利の女神はほほえんだのか。

» 2010年07月06日 19時46分 公開
[西尾泰三,ITmedia]

 何が彼らを変えたのか。何が彼らを突き動かすのか――ポーランドで開催中のImagine Cup 2010、ソフトウェアデザイン部門の日本代表としてラウンド1のプレゼンテーションを行う「PAKEN」のメンバーをみていた記者はそんなことを考えていた。

 Microsoftが学生向けに毎年開催している世界規模のITコンペティション「Imagine Cup」には幾つかの部門が用意されているが、中でもソフトウェアデザイン部門は68チームがしのぎを削るもっとも過酷な“戦場”だ。ラウンド2に進めるのはわずか12チーム、ソリューションの完成度ももちろんだが、ビジネスモデルやプレゼンテーションなど、総合的な能力が問われる難易度の高い部門となっている。

 ここ数年、ソフトウェアデザイン部門で日本代表は目立った成績を残せていない。優秀な才能がそろいながら、チームとしては勝利から遠ざかる、そんな状況だった。多くのメディアが、「よくがんばった、すばらしかった」と薬にも毒にもならない言葉でお茶を濁し、日本マイクロソフトも「(Imagine Cupは)競技としての側面が目立つが、国際競争力のある次世代人材育成が主である」とはいうものの、分かりやすいアイコンとしての結果を求められていたのが現実だ。

 そんな戦場に立ったPAKENのメンバーは、首都圏の最難関学校との呼び声高い筑波大学附属駒場中高等学校(筑駒)の「筑波大学付属駒場 中高パーソナルコンピュータ研究部」、通称“パ研”の石村脩氏、金井仁弘氏、関川柊氏、永野泰爾氏。彼らは非凡な才能を発揮して日本代表の座を得た後、異例ともいえるマイクロソフトの手厚いサポートを受けながら、ほかの学生たちが知るよしもない心身が疲弊する激流のような日々を過ごし、ポーランドへと乗り込んだ。

ソフトウェアデザイン部門日本代表の石村脩氏、永野泰爾氏、関川柊氏、金井仁弘氏

 彼らが考案したソリューションである「Bazzaruino」は、民間旅客機の搭乗者が無料で預けられる荷物の空きスペースを利用して、貧困地域への物資援助に役立てようというもの。Bazzaruinoの詳細は「ポーランドでサムライブルー再び、Imagine Cup 2010開幕」で触れたので割愛するが、ポーランドにたつ直前に日本で開かれた壮行会で披露されたBazzaruinoは、質的には日本大会で披露されたそれとは別次元のものに進化していた。システム的に洗練されているのはもちろんだが、プレゼンテーションの技術は格段に向上しており、これが高校生のレベルなのかと思ったほどだ。

 PAKENのメンバーも、「国際競争力のある次世代人材」というプレッシャーを背中に感じていたのは間違いないが、彼らは自信にあふれていた。彼らに本大会に対する意気込みを聞くと、常に「優勝」という言葉が返ってきた。記者のように長年Imagine Cupを取材し、多少なりとも世界のレベルを知っている人間からすると、通常なら“井の中の蛙”だと笑い飛ばしたくなるところだが、実のところ、それは自分の住む世界の半径を知ってしまった「老人」の言葉にほかならない。

 「高名だが年配の科学者が可能であると言った場合、その主張はほぼ間違いない。また不可能であると言った場合には、その主張はまず間違っている」「可能性の限界を測る唯一の方法は、不可能であるとされることまでやってみることである」「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」――SF作家アーサー・クラークが定義した「クラークの三法則」は彼らの状況にうまく当てはまる。常識を疑い、高みを目指す彼らのような人材こそが世界を変えていくことを、Microsoftはことあるごとに強調しているが、まさにそうした人材と化したPAKENのメンバーは、世界の大舞台でその実力を見せつけた。

We Can Change the world by Bazzaruino!!

 それでは、彼らのプレゼンテーションを動画で紹介しよう。YouTubeに用意されているImagine CupJPチャンネルで、そのすべてをみることができる。

 石村氏がホスト役として全体を進行させながら、金井氏が要所で審査員をうならせ、永野氏、関川氏によって筑駒名物の“寸劇”はショーにまで昇華するなど、個々の学生が、この大舞台で己の役割に徹し、なおかつそれがチームとしてまとまっていた。自分の持ち味を生かして「おれたちはやれる」と信じるチーム、これこそが、国際競争力のある次世代人材の姿であると、記者は思った。

 「支援物資として渡されるものに危険物が入っていないことなど、ユーザーの安全性をどう担保するのか?」「空港で支援団体から支援物資を受け取る際に、目視で確認するとともに、入れ物も中身が見える透明のバッグにしている」「このソリューションでは、搭乗率が低いような路線などでは有効に機能しないのではないか?」「われわれの試算では、1年間の旅行者数のわずか0.5%がこのサービスを利用するだけでも、WFP(国際連合世界食糧計画)が2009年に支援できた物資量を上回る」――プレゼンテーション終了後に審査員から矢継ぎ早に飛んだ厳しい質問にも、気後れすることなく答えてみせたPAKEN。事前に想定問答を繰り返していたことも功を奏したといえるが、落ち着き払ったその受け答えは、日本から同行していた記者団、マイクロソフト社員、そして我が子のようにPAKENを見守る市川道和先生の誰もが、頼もしく見守っていた。

AirPorter(左)とCivilPress(右)

 ラウンド1を終え、安堵(あんど)の表情を浮かべた彼らは会心のできに手応えを感じていた。Imagine Cupにおいて日本が久しく失っていた歓喜と誇りを取り戻したかのように思えた。

失われる勝利への羅針盤

 ラウンド1から数時間後、次のラウンドに進む12チームが発表された。先に発表があった組み込み部門は、日本代表チームが一足先にラウンド2進出を決め、PAKENにも期待が掛かる。

 しかし……、結果は無情だった。「マレーシア、フィンランド、ウクライナ、セルビア、マルタ、モロッコ、シンガポール、ドイツ、タイ、クロアチア、ニュージーランド、ブラジル」――ソフトウェアデザイン部門ラウンド2に進む12チームに、日本の姿はなかった。最後のチームが発表された後、石村氏はがっくりとその場に倒れ込んだという。そして、PAKENのメンバーほとんど無言のまま会場を後にした。

 彼らの胸に去来したものとはいったい何だったのだろう。もしかすると、望んだものとはかけ離れた結果を突きつけられたという経験は、彼らのこれまでの人生にはなかったのかもしれない。がっくりと肩を落とす彼らに掛ける言葉を失っていた記者だが、彼らには、初日の開会式でMicrosoftポーランドのゼネラルマネジャー、ジャチェック・ヌラフスキ氏の言葉――(この場にいるだけで)君たちはすでに賞賛に値する――を改めて思い出してもらえればと思う。彼ら、あるいは市川先生が振り返るImagine Cup 2010は、別記事で紹介したい。

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