【第1回】新米だった私がヒットサービスを作れたワケAmeba初代プロデューサーが語る “燃焼系”プロマネ論(2/3 ページ)

» 2013年08月07日 08時00分 公開
[山崎ひとみ(サイバーエージェント),ITmedia]

プロジェクトの「夢」は合議では決まらない

 追い詰められた私が何をしたかというと、運命の社長ミーティングの前日、「コンセプトに関しては、一度私一人で決めさせてほしい」とメンバーに伝え、一日中会議室にこもって企画書を作り、「コミュニケーションをコンセプトにしたアバターサービスにする」という結論を出しました。

 翌朝、メンバーに企画書を見せると、「山崎が出した結論ならそれでいいよ」と、チーム全員が納得してくれました。その直後、一人で社長との打ち合わせに臨み、その場で企画にゴーサインが出たのです。

 そのときに学んだ大切なことは、プロジェクトの方向性、つまり「夢」というのは、合議では決まらないということです。メンバーや専門家などのさまざまな意見をアイデアの源泉としつつも、最後は誰かが責任をもって決めきらなければいけません。コンセプトはボトムアップでは完成しないのです。

 プロデューサーやリーダーに求められるのは、プロジェクトの夢を正しく描き、それに基づいた決定ができているかどうかです。メンバーの立場から考えると当たり前のことなのですが、これがなかなか難しい。今、読者のみなさんがプロジェクトリーダーの立場にあって、もし夢が分からないのであれば、それを描く作業に何よりもまず時間を使うべきだと思います。

 当時、エンジニアの名村にも、「プロデューサーは現場で何ができるかということに気を遣う前に、とにかく夢を大きく描いてわがままを言うべきだよ」とアドバイスをもらったことを思い出します。それを境に、夢を描くことはプロデューサーにとって最も大切な仕事だと自覚するようになったのです。

上長決済を絶対とってくるヤツ

 その後、サービスの開発が進む中で、私は自分の役割について強く意識するようになりました。「分からないなりに何ができるか?」――。

 一方で、社長からは、「とにかく2009年2月までに新サービスを作ること。それを過ぎたらどんなにチームが頑張っていてもリリースはなし」と強く言われていました。デッドラインまでは半年もない状態。チームメンバーは10人強。仮想空間とコミュニケーション機能を取り入れたサービスの開発期間としては、ちょっとでもミスをすると間に合わなくなるようなスケジュールでした。

 こうしたギリギリの状態で開発しているチームのパフォーマンスと集中力を最大限に生かすことが求められている中で、最も怖いのは「手戻り&仕様変更」です。それを防ぐために私がまっとうしたのは、トップと現場を“つなぐ”という役割です。

「アメーバピグ」リリース直後の全社総会での写真。ピグ開発メンバーとともに合計4つの賞を受賞することができました 「アメーバピグ」リリース直後の全社総会での写真。ピグ開発メンバーとともに合計4つの賞を受賞することができました

 社長との週次の開発進ちょくミーティングや、プロモーション部門との連携、課金事業としての将来的な設計など、各所と調整していく中で、プロデューサーには事業戦略とクリエイティブをつなぐことが求められていると感じていました。アメーバピグは、現場のクリエイター、エンジニアの爆発的な創造力とアイデアこそが強みであり、それ自体が他社に絶対に真似できない競争力といえます。作ることに集中するほど現場ではクリエイティビティが優先される傾向になりますが、サービスを作ることの目的はメディア戦略にのっとっているので、時として戦略とクリエイティビティは相反することがあります。

 トップダウンで無茶な注文が来て、現場が疲弊し、トップと現場の間に軋轢(あつれき)ができるという事態に直面した方もいると思います。しかし、これは間に立つ人間、つまりアメーバピグのプロジェクトのケースでいうと、プロデューサーである私のバランス感覚が、事業戦略(トップ)かクリエイティブ(現場)かのどちらかに極端に傾倒してしまったからこそ起こるのだと思うのです。あくまでプロジェクトの成功にフォーカスした上で、絶妙なバランス感覚で双方をつなぐことが、プロデューサーやリーダーの重要な仕事だといえます。とにかく開発の集中を切らさず、現場のクリエイターが実現したいことを生かしながら、事業としてのスケーラビリティを作っていくことが、開発フェーズでの私の役割でした。

 それは具体的に言うと、現場からは「上長決済を必ず取ってくるヤツでいる」ということでした。トップダウンの与件で必要不可欠なものは必ずすぐに現場に落とし、納得いかなければトップの狙いを代弁して説得しましたが、現場から出たアウトプットは手戻りがないように何としてでも決済を取り付けるように努めました。「そんなことないこともあったぞ!」と当時を知るメンバーからは怒られそうですが(苦笑)、上司に報告してから戻って来るたびに意見が違うヤツ、では少なくともなかったはずです。

 このような実に緊張感のある毎日を何とか乗り越え、2009年2月19日、アメーバピグはついにリリースの日を迎えることになりました。実はリリース当日、30人までが同時接続できるエリアを6つ用意していたのですが、オープン直後瞬く間に満員になり、リリースのお祝いをする暇もなくその日のうちにエリアを50個増設しました。まさに「嬉しい悲鳴」を上げたのが鮮烈な思い出です。

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