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» 2014年07月16日 06時00分 UPDATE

Lead Initiative 2014レポート:ビッグデータ解析が勝負を分けたF1の世界〜元HONDA総監督桜井氏

「チャレンジこそ我が人生」と標榜するのは元ホンダF1チーム総監督の桜井氏。ここでは同氏の講演を紹介する。

[大津心,ITmedia]

 インターネットイニシアティブ(IIJ)は2014年7月10日、東京コンファレンスセンター・品川にて、プライベートイベント「Lead Initiative 2014」を開催した。本稿では、「なぜ飽くなき挑戦を続けられるのか─世界が認めたイノベーターが語る、闘うリーダーの条件─」と題した、元ホンダF1チーム総監督 桜井淑敏氏の講演の様子をお伝えする。

進歩は突然来るもの、不屈の魂が夢を呼び込む

桜井氏写真 元ホンダF1チーム総監督 桜井淑敏氏

 桜井氏は慶応義塾大学工学部を卒業後、本田技研工業に就職。すぐに「H1300」の開発チームに計算係として配属された。この時「クランクシャフトが7000回転に達すると5分で折れる」という問題が発生。クランクシャフトの強度計算をしていた桜井氏が呼ばれ、本田宗一郎氏に理由を問い詰められたという。問われた桜井氏は、思わず多くの言い訳を並べ立てた。その時、宗一郎氏に言われたのが「真実は権力よりも重いんだぞ」という言葉だ。宗一郎氏に言われたこの言葉で、同氏はその後考え方を大きく改めたという。

 また、当時米国の排ガス規制が強化されたため、自動車メーカー各社がしのぎを削って対応を目指していた。多くの研究者はマフラーの触媒などを変更することで規制クリアを目指したが、桜井氏のチームは宗一郎氏直属で根本的に排ガス規制をクリアするエンジンの開発に取り組んでいた。

 この時、宗一郎氏は夕方の16時ころ研究室に現れてその日の報告を聞き、床に絵を描くなどして修正ポイントなどを指示していた。桜井氏をリーダーとする6人の設計チームは、宗一郎氏のポイントを実現するべく深夜までかけて、同氏の考えを設計図に反映させる。そして、夜中の12時ころにようやく設計図ができ上がると、工場のスタッフ10人くらいが徹夜でそれを制作し、翌日宗一郎氏が来る16時までに結果をレポートする。という毎日を繰り返していた。

 「この件は宗一郎氏直属プロジェクトなので、全てに優先されて行われていた。通常、エンジンの制作は設計から制作まで2〜3週間はかかるものだ。それを半日で実現していたのだから、いかに異常な状況なのかが分かるだろう。要するに、2〜3週間の大半が検討や決済などの待ち時間なんだ、ということにこの時気付けたことは、後の人生に大いに役立った」(桜井氏)

 このような異常なサイクルで制作と失敗を7カ月間にわたり繰り返していたある日。一向に減る気配のなかったNOxが、突然10分の1の量に激減したという。その日行ったのは、副室からエンジンに通る穴を1ミリ細くしただけだった。「あの日ほど宗一郎氏に早く来てほしいと願った日はなかった。200日以上失敗続きだったのが突然の大成功に宗一郎氏も最初は信じられず、テスト結果を5分間ほどじーっと見つめていた」(桜井氏)。

 突然の成功を喜んだ宗一郎氏は「今日はみんなで銀座に行ってこい!」と言い、桜井氏らは1晩で現在の価値でいうと700万円相当を1晩で飲みほした。プロジェクトは翌日から100人体制に拡大し、その後世界初の無公害エンジン「CVCC」を完成させた。

 桜井氏はCVCC開発後も、米フォードへの出向や名車シティ・ターボなどの開発リーダーを歴任。研究所のマネジメント業務に移っていった。桜井氏は、当時を「宗一郎氏から学んだものは大きい。200日以上失敗を続けても、夢を信じて挑戦する不屈の魂はまさに宗一郎氏から学んだものだ」と振り返った。

慣例を全否定し、正反対の発想から生まれたF1優勝

 その後、F1挑戦を始めたホンダだが、最初の数年は全く勝てなかった。この点について、桜井氏は「商品というのは、最終的にはコストパフォーマンスが最重要な要素だ。限られた資源の中、最もコストパフォーマンスの良い商品が売れる。一方、F1の世界は無制限一本勝負。戦争と同じだ。無尽蔵とも思える資本を投入できるものが勝つ。ホンダのビジネスとまったく違う土俵に最初は全く相手にならなかった。マラソンに例えると、2キロ離されていて全く見えない相手の背中を追い掛けている感覚だった」と振り返る。

 この2キロ離された状況から逆転するべく、桜井氏に白羽の矢が立つ。これを受けた同氏は、「とにかく今までのことを全否定するところから始めた」という。

 当時のF1エンジンは、エンジンのパワーを上げて燃料を使い切ることに心血が注がれていた。そこで同氏はこれと全く正反対の発想で、燃料の熱効率を最大化することにしたという。この発想の転換に、当時の社長など従来のやり方をやってきた人々は大反対。社長とは3カ月口をきかなかった。

 このような発想の転換でゼロから開発を行った結果、1500ccターボエンジンで650馬力だったものが800馬力になり、さらに燃費も30%向上したという。ただし、これだけでは勝てないのがF1の世界。馬力がありすぎて、車体やタイヤ、ガソリンなどその他の部品が、エンジンに追いつかない状況だった。

 そこで桜井氏は、それまで相手にされていなかったシャーシメーカーやガソリンメーカーに直談判。数々の修正を経た結果、その年は4勝できた。さらに翌年には、1000馬力超にまで高めることができたという。

 「最も大事なことは、自分たちの主力分野でNo.1になること。そうすることで、周りが耳を貸してくれるようになる。耳を貸してくれれば、直談判して悪い箇所を直していくこともでき、それの積み重ねが優勝を生んだ」

情報共有のために革命を起こす

 本田宗一郎氏はF1参戦について、常々「F1は技術の実験室だ!」と言い、その必要性を説いた。桜井氏はこの考えに加えて、「マネジメントの実験室でもある。情報共有が何よりも重要だ」という認識でいたという。

 当時のF1は、メカニックやドライバー、車体のあらゆる部分がブラックボックス化しており、情報が占有化されていた。車体の調整はドライバーの感覚がベースになり、その言葉が正しいかどうかの検証もできない状況だった。まさに、情報の共有化が一切できない状況だ。

 「これでは、とても正しい戦略を立案できない」と考えた同氏は、19〜28歳の若手エンジニアを集め「2年間で走っている車から情報を収集できる仕組みを作れ」と命じた。エンジニアは暗中模索し、NASAへの研修なども行った結果、1年半後に車から無線で情報を得る「テレメーター・システム」の開発に成功したという。

 当時のテレメーター・システムは、マシンの各センサーから収集したデータを1周分溜め、バックストレートでピットにまとめて情報を送信する、という方式だった。それでも、レースが終わるまでデータが得られなかった状況から、情報共有が劇的に進化。レース中にチーム全体にいる約30人で共有するのはもちろんのこと、後ろの開発センターにいる200人の開発者にも瞬時にデータを渡せたことで、開発サイクルを大幅に早めることが可能になった。

 その他、当時はまだヨーロッパ中心でレースが行われていたため、物理的な距離でも日本のチームは不利だった。車体の送迎だけで10日間程度ロスしていたからだ。そこで同氏は全てのコースのデモ環境を全ての研究所に作成。これにより、さらに開発サイクルはさらに短縮されたという。

 「画期的なアイディアは、弱点の中からこそ生まれるものだ。ピンチをチャンスに。このチャレンジ精神こそ、世界一になれた大きなポイントだ」

チャレンジこそ人生、大事なのはたった3つのこと

 桜井氏は総監督を4年間務め、セナ・プロストを擁する最強チームを創り上げたところで勇退。F1参戦による開発費は膨大だが、十分に元は取れたという。その理由を「4年間で使った開発費は150億円だが、F1に優勝したことによる効果を広告費に換算すると650億円相当だ。さらに、これにより4000億円相当の車が売れた。費用対効果としても非常に優秀だった」と説明する。

 現在桜井氏は69歳、まだまだITへの関心も薄れない。

 現在では、自宅と研究所など3拠点間でSkypeによる会議を2日に1度のペースでこなしている。「もはやSkypeはなくてはならない必須のツール。確かにSkypeだけでは完全な意思疎通はできないかもしれないが、それを補うために1カ月に1度程度、顔を合わせているのでそれも埋めることができる。新しい技術、ツールにも臆することなく挑戦していきたい。新しいものに挑戦する際に大事なのは『right direction(正しい方向か?)』『right way(正しい方法か?)』『right timing(正しいタイミングか?)』の3つだけだ。この3つだけを守り、可能な限りチャレンジしていってほしい」とコメントし、飽くなき挑戦を強く訴えた。

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