第4回 常時接続から始まったセキュリティ対策の“無間地獄”日本型セキュリティの現実と理想(2/3 ページ)

» 2015年08月13日 07時30分 公開
[武田一城ITmedia]

大きな変化は1998〜2000年

 1998年は筆者が社会人になった年である。その当時の業界は、一番のトレンドだった2000年問題の対応リミットまで1年を切った追い込み時期であり、業界全体がお祭り騒ぎだった。もちろん、そういう時期にはさまざまな事件も起こる。先輩社員は手一杯で新入社員の教育などする暇が全く無かった時期だ(ちなみに当時の所属企業は現在と異なる)。筆者はそのまま現場に出され、当然ながら技術知識はもちろん、ビジネスマナーもおぼつかない状況なのだから、いろいろとトラブルが起きた。トラブルシューティングの知識も経験値もない状況で事態が悪化する。社会人一年目だからという理由だけではなく、なかなか感慨深い1年だった。

 話を元に戻そう。1998年はあのGoogle創業の年である。いわゆるIT企業の先駆けであり、現在の検索サービスを筆頭にさまざまなWebサービスのガリバー的な存在だ。他にもこの時期に設立や急成長した企業が「IT革命」といわれる現象を牽引し、インターネットやWebサービスを加速させた。日本企業では、前出のGoogleより1年早く1997年に設立された楽天や、設立は1981年と歴史があるものの、1998年に東証一部に上場したソフトバンクがこれにあたるだろう。

 それらのIT企業への期待値が企業の株式時価総額を大幅に増加させ、2000年初頭の「ITバブル」へ突き進むことになる。このITバブルは、国内では特にヤフーの株価が1億円を大きく突破した。さらに、ITバブルの象徴とも言えるのは、Webサービスとほとんど無縁なシステム開発会社の株価をも高騰させた。既に値上がりしたWebサービス形態で先駆的なビジネスを立ち上げたIT企業より、これらの企業が市場から割安とみられたのが理由だ。これらのブームが去り、現実が皆に理解されたことでバブルが弾けたのだ。

常時接続の始まり

 通信インフラの整備はITバブルの熱狂時に少し遅れた。インターネットが光ファイバによる100Mbps級の高速通信が全国各地の家庭にまで行き渡っている現在のネットワーク環境からすると、原始時代のようだった。

 1990年代の一般的な通信速度は、アナログ回線で56Kbps、ISDN回線で64Kbpsであり、通信環境によって異なるが、現在の速度の数百分の1程度だった。動画配信などはとてもできず、数Mバイトしかない写真などを表示するだけで数十秒〜数分かかることも珍しくなかった。しかも、ダイヤルアップ接続は都度プロバイダに電話回線でつなぐ方式であり、まず接続するための電話代がかかる。定額となる前出のテレホーダイ時間帯はプロバイダの回線が大渋滞し、知り合いの噂を聞きながら少しでも空いているプロバイダを渡り歩くようなことが一般的に行われていた。現在のスマホ世代には信じられないことだろう。

 その後2000年になって、やっと「フレッツ」という64kbpsという低い速度ながら常時接続を実現したサービスが提供された。日本のインターネット世界にとって大きなトピックだった。これにより、いつでもコストを気にせずにネットにつながっていられるという利用環境のベースができ上がったからだ。

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