時給650円のバイトが教えてくれた「働きがい」のある職場の条件榊巻亮の『ブレイクスルー備忘録』(2/4 ページ)

» 2017年08月08日 07時00分 公開
[榊巻亮ITmedia]

自分より上のタイトルには、自分より仕事ができるやつしかいなかった

 バイトには、役職が付いていた。Cクルー、Bクルー、Aクルー、という名前の役職だった気がする。

 タイトルが上がると時給も上がるのだが、これは絶対評価だった。日本企業によくあるような相対評価ではない。タイトルアップするもしないも、全ては自分次第だった。

 そして、上位職には、自分より仕事のできる人しかない。これが気持ちよかった。だから、タイトルが上がると、時給が上がるが、それ以上に「Aクルーとして認められた」という感覚が誇らしかった。

利他的な価値観が自然だった

 そして、評価の項目の中に「店に貢献している」「バイトの育成に貢献している」という項目もあった気がする。店のために何かをやる、人を育てるために何かをやる、という行動が当たり前のように評価されていた。

 だから、「自分の仕事しかやらない」人はほとんどいなかった(実際はいたのかもしれないが、20年もたって多少、思い出が美化されているのかもしれない……)。

 利他的な価値観(他者に利益になることを進んでやることを良しとする価値観)が当たり前だった。自分のことをさっさと終わらせて、他のところにヘルプに入るやつがカッコイイと思われていた。少なくても僕はそう思っていた。「助けられる人でなく、助ける人になりたい」と思った。どうやって他の支援をしようかと、いつも考えていたものだ。

時間外でみんなが好きなことをやっていた

 当時は、時給をもらっていない時間外にもいろいろなことをやっていた。若手のトレーニングマニュアルを更新したり、在庫が置かれているバックヤードの大掃除をしたりなんていうことはしょっちゅうだ。

 大掛かりなものになると、クリスマスパーティーがあった。カウンターのチームは、毎年、子どもたちを呼んでクリスマスパーティーを開催した。誰かに「やれ」と命令されたワケけじゃない。誰かが「やろう」と言い出し、「それ、いいね!」と賛同する人が集まり、バイトが勝手に続けている取り組みだった。

 実際に子どもたちとパーティーをしている時間はバイト代が出たが、準備の時間は無給だった。今、思うと「それはそれでどうよ?」と思うけど、カウンターのチームはみんな、楽しそうに働いていた。

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 そして、クリスマスパーティーを仕切るメンバーは、バイトの中でもエース級のメンバーだった。店の“顔”みたいな存在だ。若いメンバーは、キラキラの笑顔でパーティーの準備をするデキるお姉さんたちを見て、「いつかあんなふうになりたい」と思っていたようだった。無給でパーティーの準備をするメンバーは、傍から見ていても本当にいきいきしていた。

 もっと日常的な話もある。シフトが入ってなくても、店のクロージングを手伝いに行くことがよくあった。店を閉めていると、誰かがふらりと遊びに来て仕事を手伝ってくれる。その後、みんなで飯に行ったり、遊びに行ったり。

 タダで店のクロージングを手伝うから「タダクロ」という名称で呼ばれていた。今考えると、名称が付くらい常態化していたということだろう。でも、誰も強制などされてない。好きでやっていたのだ。誰かがタダクロに来ると、ちょっとしたお祭りみたいになって楽しかった。

 駅前に店があったから、帰りがけにフラッと店に寄るやつが多かった。日中でもふらりと立ち寄って、本社から送られてくる最新の情報に目を通したり、仲間と雑談したりしていたり、第2の家みたいになっていた。

他のバイトでは得られない何かがあった

 バイトの時給が安過ぎるので、僕は、何度か他のバイトをしてみたことがある。マックの1.5倍くらい出してくれる倉庫のバイトとか、引っ越しのバイトとか。

 でも、どれも恐ろしくつまらなくて、続かなかった。時給が良くても、全然楽しくなかった。まるで労役のようだった。

 でもマックはそうじゃなかった。時給は恐ろしく安いけど、なんだか楽しかった。みんな、いきいきしていた。そしてその時代を共に過ごした人達は社会に出ても活躍している。楽しそうに仕事をしている。

 当時は当たり前だと思っていたけど、普通じゃなかったのかもしれない。これって何なのだろうか?

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