画像解析でレガシーな小売業を“データドリブン”に――看板屋「クレスト」2代目社長の挑戦【特集】Transborder 〜デジタル変革の旗手たち〜(2/3 ページ)

» 2018年04月11日 08時00分 公開
[大内孝子ITmedia]

課題を発見し、すぐに解決へと動ける力

 永井氏は、厳しい父親のもとで、高校時代から家業の1つであった不動産業の手伝いを通じて、「お金を稼ぐことの大変さ」を学んだという。空室が出たときの案内やメンテナンスの手配、新築マンションを建てるプロジェクトなどを高校時代に経験したそうだ。

 「実家が持っていたマンションが100部屋くらいあり、高校生の時に不動産仲介業者を自転車で回って飛び込み営業をしました。窓口の担当者にインセンティブを与える方法などを考えたこともあります。モチベーションは父親からのプレッシャーでしたね。正直言って怖かったです(笑)。今、思えば、あの厳しさは父自身が感じていたビジネスへの不安や、僕に対する『お金を稼ぐのはこれくらい大変なんだ』というメッセージだったのかなと思います」(永井氏)

 その後、永井氏は大学に進み、商学部でマーケティングを中心に学ぶ。開店前の店に「仲間を動員して行列を作る」と持ちかけるなど、友人と新たなビジネスを試していたそうだ。とにかく、自分で商売をやりたかったのと、親の会社には行きたくなかったことから、就職活動では大手のコンサルティング企業や外資系の金融企業を目指し、その過程でベンチャーキャピタルという存在を知って、ジャフコに入社。M&Aやバイアウトに携わった。

 そんなある日、急きょ父親から呼び戻されて、ジャフコを辞めることになった。「父親からの急な命令で家業のクレストに入社したんです」(永井氏)

 「今でも父はそう言いませんが、僕を呼び戻したのは、会社の先行きに不安があったからかもしれません。リアル店舗(インナチュラルの前身のサンクスネイチャー)を買収したりと投資を行う一方で、明確に売り上げが下がっている部門もあった。当時は『看板屋なら伸ばせるかな』と考え、営業先を建築会社からファッション関連の実店舗に変えていきました。それからは部門単体で1.5倍以上の成長が4年ほど続いています」(永井氏)

Photo クレストが運営するグリーン雑貨の店、「IN NATURAL(インナチュラル)」

 ESASYのアイデアは、インターネット広告のKPIから生まれているが、永井氏はアナログな世界における課題を熟知していたからこそ、うまくサービスにできた部分があるのではないか。技術ありきの発想ではなく、「目の前にある社会的課題を見つけ出し、未来の姿を想像し、その間にある不均衡をどう埋めるのかを考えたとき、解決のためのツールがたまたまデジタルであっただけです」と永井氏は言う。例えば画像解析技術との向き合い方も、課題ベースであればブレがない。

 とはいえ、日常的に抱えている課題だからこそ、ビジネスの種になる「問い」を意識することなく流してしまうことも多いはずだ。今となっては「なぜその問題に誰も手を付けなかったのか」と思えてしまう話かもしれないが、自分の気付きを信じて行動に至れるかどうかは難しい。分野を問わず、身の周りの課題をすぐに捉え、糸口を探って解決へと動く――。永井氏の経歴からは、そんな資質がうかがえる。

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