よぽど確かな確信があるなら別だが、働いてもいないうちに、自分の方向性を決め付けるのは危険だ。人生100年時代といわれているからといって、「一生弁護士で食っていきます」「一生この企業で勤め上げます」などというのは、だいぶ勇気がいるだろう。
でも、考えろといわれるから考える――。「やりたいことは何か?」「強みは何か?」。実際、よく考えている学生は、自分のやりたいことを見つけている人が多い。例えばこんな学生だ。一見、しっかり考えていそうに見える。
「俺は『建築』が好きなんですよ。図面作ってそれが形になるのって、かなり楽しいんですよね。頭の中で構成したものが、目の前で形になる。平面ではなく立体で考えることも好きだし。
アウトプットが見えない、触れられないのは、ちょっと苦手です。例えば『教育』やら、『金融』やらは性に合わないんですよ。興味もありません。だから建築なんです! 建築は人の一生に欠かせないものだし、そういう形で誰かの幸せに貢献できるのはうれしいです。
同じことをしていても、それを取り囲む建築1つで全然違う体験になる。人を包み込む空間をコントロールすることで、大きな影響を与えられる仕事は素晴らしいですよね。建築が最高に楽しい仕事だと思います」
何を隠そう、これは15年前の僕だ。当時はかなりの確信を持って、建築屋が自分のやりたいことだと思っていた。
今はどうかというと、建築からすっぱり足を洗い、全く畑違いの仕事である、業務やITのコンサルタントをやっている。今なら分かる。建築より、今の仕事(コンサル)の方が絶対に得意で好きな仕事だと。
でも当時は、コンサルなんて考えもしなかった。コンサルタントなんて、アウトプットが見えづらい仕事の代表格だと思っていた。ちなみに今は教育にもかなり関心があるし、相当向いていることが分かっている。結果的に、当時の僕の思い込みは、全くの見当違いだったのだ。
では、当時の僕がポンコツだったのかというと、多分そうでもない。当時持ちうる情報を駆使して、かなり考えていたはずだ。つまり、「前提が間違っていた」のだ。
「しっかり自分と向き合えば、やりたいことが見えてくる。それこそが正解だ!」という前提に立っていたが、そうではなかった。「本当の自分の特性、やりたいことなど、そんなに簡単に分かるわけがない」のだ。
「持ちうる情報」からは、おおよそ正しい判断ができていたのだろうが、社会人経験のない学生には、仕事について深い考察をするのは極めて難しい。
例えば、外からサッカーを眺めていて、やったこともないのに「俺はサッカーが好きらしい、多分向いてる。だからサッカーを職業にする」といっているのと同じなんじゃないだろうか? 実際にサッカーをやってみると、いろいろなことが分かるだろう。「好きだけど向いてない」とか、「どうやら見ている方がずっと楽しい」とか。
僕は机上の空論で自己分析をして、分かったつもりになっていただけだったのだ。
では、机上の空論で自己分析することに意味はないのか? もちろんそんなことはない。今持ちうる情報を駆使して、
と考えることは重要だ。正解にたどり着けないからといって、この作業をサボってはダメだ。
大事なのは、あくまでここでの結論は「仮説」であり、「今後、十分に変わり得る」と理解しておくことだ。「多分、やりたいことはこれだ」と考えた仮説を、社会人として働くうちに実践経験で検証していけばいい。このときの仮説がないと、いくら実践経験を積んでも、検証ができない。
この前提に立つと、会社選びの視点が少し変わる。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.