時流の節目こそ、勝負を仕掛けるチャンス――野村総合研究所 理事 楠真氏長谷川秀樹のIT酒場放浪記(2/4 ページ)

» 2018年09月15日 07時00分 公開
[伊藤真美ITmedia]

金融機関のPC調達を価格勝負のオープンな取引に

長谷川: 当時の顧客には、成毛眞氏が率いるマイクロソフト日本法人もあったのですよね。今も大変親しくされているご様子ですが。

楠: ええ、拙著(『社長が知らないITの真相』2016年、日経BP社刊)の帯にコメントをいただいたりしています。親交が今も続いているのは、新しい時代を作ろうと試行錯誤していた経験を共にしているからでしょう。

 1994年に出たばかりの「Windows NT」を野村證券の基幹系端末として全面採用したのですが、この時のマイクロソフト社長が成毛さんでした。

 PCを金融機関が基幹業務に使うなんていうことはとんでもないという時代でしたが「絶対に将来納得するから」と、私が野村證券の部長を説得して、導入を決めてもらいました。

 当時の金融機関のコンピュータ調達は、どこも取引金額で調達先を決めている時代でしたが、私は、PCの調達を入札の形式にして、価格勝負のオープンな取引にしてしまいました。結果、当時のコンパック(コンパック・コンピュータ・コーポレーション)が最大の顧客にもなりました。

長谷川: コンパック! それはなつかしいですね。PC導入は、僕のアクセンチュアでの新入社員時代のサブプロジェクトでもありました。

 しかし野村證券ともなれば、いろんな思惑が錯綜して、入札だからといってシンプルに性能や価格などの比較で決まりそうもないですよね。

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楠: そう、当時の影響度から見れば、日本の大手コンピュータメーカーがダントツで。証券会社の大顧客です。

 しかし、さまざまな要件を鑑みて、選定リストから落としたのです。すると、先方の責任者がいらして、「楠さんは偉くなる方なんですから、こんなことはなさらないでください」とささやかれまして……。

長谷川: そ、それはまた、経済小説を読んでいるような脅し方ですね(笑)

楠: 「ぜひ、偉くしてください」と涼しい顔でお答えしましたが、内心ドキドキでしたね。

 他にも、ダウンサイジングを実現するために、知恵を絞りましたね。

 納入場所として大きな倉庫を指定して、そこでキッティングしたPCを日本全国の営業店に送るという手法を取りました。キッティングのラインを作って運送会社のドライバーさんにキッティングしてもらったんです。

 各拠点に納品となれば、当時としては地方にエンジニアを配置しているメインフレーマーにしか対応ができません。しかし、自分たちでまとめてキッティングすれば、コンパックでもいいわけですから。

時流の節目こそ、前例のない勝負を仕掛けるチャンス

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長谷川: ダウンサイジングの背景には、インターネットの普及という大きな潮流があるわけですが、楠さんは、当時どのように思っていらっしゃいましたか。

楠: もちろん勝負をかけるべきだと思っていました。当時、時価総額2兆円というデータセンター事業者の米Exodus(エクソダス)が日本に進出したいというので、共同事業を立ち上げたのも、その思いがあってのことです。

長谷川: Exodusといえば、世界で初めてインターネットのコロケーションサービスを始めた企業ですね。

楠: まさに現在のAWSと似たことをやっていたんですね。

 当時、データセンターが利用できるのは大手企業だけという時代に、インターネット回線やデータセンター機能はもちろん、ネットビジネスに必要なさまざまなサービスメニューが最初から用意されているという斬新なもので、米Yahoo!や米eBayなど、インターネットブームをけん引する企業がこぞって利用していました。

 当時の時価総額は2兆円ですよ。そこが、1999年に旧野村コンピュータの本社だった四谷センターをNRIが売却しようとしていると知って、連絡をとってきたのです。

長谷川: 1999年というと、証券会社が厳しかった時代でしょう。1997年には山一證券が経営破綻していますし。

楠: 野村證券も例外ではなく、傘下の野村不動産が巨額の不良債権を抱えていました。少しでも債務を減らすために、四谷のデータセンターを壊して、そこにマンションを建てて売ろうと考えていたわけです。

 しかし、センターを壊すだけでも、原状復帰に10億円以上かかります。そこで私は、四谷センターをそのままExodusとの共同運営にして、インターネットデータセンターとしてリニューアルできないかと考えました。

 先方も提案を気に入ってくれて、NRIのインターネット戦略の強化にもつながると思ったのですが、残念ながら経営層の判断は「NO」でした。米国人に頭を下げに行ったのは、あの時が最初で最後でしたよ。

長谷川: でも、それで終わらないのが楠さんの強さですね。不調に終わったわけではないでしょう。

楠: それが、日本法人の社長を務めていたワインガーデン氏は「借りるのがダメなら、買えばいいのか?」というのです。すぐさま本国の了解が降りて、四谷センターはエクソダスに売却されました。センター運用はNRIが担当し、Exodusと同条件で、NRIがインターネットデータセンターのサービスを販売できることになりました。

 2000年1月にこの事業提携を正式に発表したところ、NHKのトップニュースになり、未上場だったNRIに代わって野村證券の株価が倍近くになったのですよ。その3月末に3000億円の劣後債の償還がありましたが、あれでかなり救われたと思います。

 ところが、その後、間もなくしてITバブルが弾けることになります。Exodusもその影響を受けて、2001年に米国破産法の会社再建手続きである「チャプター11」の申請を行いました。2兆円の企業が、いきなり倒産です。

長谷川: うーん、栄枯盛衰ですね。NRIがExodusにデータセンターを賃貸契約していたら、大打撃を受けていたところですね。

楠: そう、売っていたからほぼ無傷でした。不幸中の幸いでしたね。でも、Exodusからは、インターネットにかかわるノウハウをいろいろ教えてもらいました。今もそれはNRIの財産なんですよ。

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