CSIRT小説「側線」 第13話:包囲網(前編)CSIRT小説「側線」(2/3 ページ)

» 2018年11月30日 07時00分 公開
[笹木野ミドリITmedia]
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 見極が愚痴りながら話しだす。

 「さっきの作戦、皆で考えた末に『それで行こう』と盛り上がっていたときに、タイミング悪くワイスが現れてな。『それは不正アクセス禁止法に抵触するので法律違反です』『これは個人情報保護法に抵触するので法律違反です』『それは不正指令電磁的記録作成のなんたらかんたらでダメです』とかあらゆる作戦をつぶしまくったんだ。

 いいかげん、『お前はどっちの味方なんだ?』と思わず俺は声を荒げたんだが、ヤツはしれっと『私は法にのっとって行動するだけです。決まりは決まり。皆さん、そうおっしゃってますけど、知らないうちに法に守られているのですよ』と言う始末だ。俺はヤツに聞こえないように『サイバーの世界で法に優遇されているのは、専ら悪いやつらの方だがな』と毒を吐いたが」

 山賀が気の毒そうに言う。

 「そうね、実際。悪人の方が、法律を無視してカモの情報を共有したり、ハッキングしたり、ウイルスの新型作ったり、自由自在ですものね。それを防御する側は、法律で縛られているが故に、同じことはできない」

 見極が言う。

 「だろ? いくら守れといっても、相手の攻撃が来てから防衛を開始する“専守防衛”だと圧倒的に不利だよな。そこんところを、あの女は分かってないんだよ。機先を制することが勝利の要なのにな」

 山賀は、悪酔いしそうな勢いの見極を見て話題を変えた。

 「そういえば、見極さんは音楽やってらしたわよね? ワイスも音楽一家だと聞いているわ。音楽仲間で話が合うこともあるんじゃないかしら?」

photo 立法Wythe遵子:「法律は仕事を邪魔するのではなく、自分たちを守ってくれる」という信念を持つ。教育担当とは仲が良いが、CSIRT全体統括に対しては冷ややかな態度をとる。善(ぜん)さんに癒やされている

 見極が言う。

 「ああ、一回話を聞いたことがある。『私は幼少のころからバイオリンを習っていたわ。8分の1サイズからかしら。家ではお父さまやお母さま、妹と一緒に室内楽を演奏していましたの。好きな作曲家は、バッハやモーツァルト、ヴィヴァルディなどね。特にバッハの規律正しい音の並びにはほれぼれするわ。心が癒されるってこういうことね。反対に、ガサガサする大編成の曲はあまり好きではないの。先の展開が予想できない曲は落ち着かないわ』だとさ。

 俺は、大編成の音楽が好きなんだ。そして、古典よりも19〜20世紀の作曲家を好む。日本でも有名な洋酒メーカーがCMで使って有名になったマーラーの『大地の歌』は、俺が中学時代に初めて聞いて衝撃を受けたな。西洋と東洋の音楽が混じり合って、東洋人の死生観を表現した音楽だ。日本でマーラーブームが起きたが、このCMがきっかけになっていると断言できる」

 山賀が口を挟む。

 「中学生の頃から? やっぱり厨ニ病だったの?」


 見極は無視して話を続ける。

 「あとはこれも有名なアイスクリームメーカーがCMで使ったショスタコーヴィチの交響曲第4番かな。旧ソ連時代の抑圧された世界で表現の自由を求めた20世紀最大の作曲家の一人と言ってもいい。一番有名なのは交響曲5番なのだが、当時ソ連から演奏禁止に指定されていたデカダンな雰囲気あふれる曲が第4番だ。CMにこの曲を選んだプロデューサーに敬意を表する。

 マーラーもショスタコーヴィチも、俺が中学生の頃からほれ込んでいた作曲家で、この二人の曲を演奏したくてトロンボーンを習い、オーケストラに参加したといっても過言ではない。二人ともルールと規律性を重んじる古典手法は高度に無視して、音楽の可能性を追求している。非常にドラマティックで心に訴える感動的な音楽を作り出す。ちなみに、バッハやヴィヴァルディの音楽は、トロンボーンとは無縁だ」

 見極が難解なことを言い始めたので、山賀は話を切った。

 「音楽の方向性が違うのはよく分かったわ。でもお互いが必要な場面もきっと今後出てくるだろうし、仲よくしておいた方がいいんじゃない?」

 見極からの返事はない。何かを考えているようだ。

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