FeliCa/モバイルFeliCaの歴史を振り返る(前編) 神尾寿の時事日想:

» 2005年10月24日 11時06分 公開
[神尾寿,ITmedia]

 2004年、NTTドコモが採用したのを皮切りに、auとボーダフォンも「おサイフケータイ」を投入。これを支える「モバイルFeliCa」は携帯電話業界の共通キーワードになった。ドコモはすでに主力の90xシリーズでモバイルFeliCaを標準搭載しており、auやボーダフォンも2006年の段階で主力ラインアップでの標準搭載化を表明している。

 非接触ICには複数の規格・技術があり、ドコモはその中から、「最も市場で実績のある技術」としてソニーのFeliCaを選択。携帯電話向けのモバイルFeliCaが誕生した。では、このFeliCaはなぜ市場で優位に立ち、携帯電話業界に採用されるに至ったのか。

 今日と明日の時事日想は特別編として、モバイルFeliCaを含む「FeliCa」の歴史を振り返ってみる。

開発当初は物流分野での利用を想定していた

 ソニーがFeliCaの前身となるコンセプトの開発に着手したのは1988年。当初は現在のSuicaやEdyのようにコンシューマー市場で広く使われるものではなく、物流・産業分野などバーティカル市場を意識したものだった。

 「最初期の段階で考えたのは、物流分野での無線ICタグとしての利用です。当時はまだRFID構想など夢物語に近い状況でした」(ソニーFeliCaビジネスセンター事業戦略室事業戦略課統括課長の竹澤正行氏)

 当時はFeliCaという名称がなく、ソニー情報処理研究所の主管で開発が始まった。しかし、この物流分野向けの無線タグ開発は、結果として不首尾で終わることになった。

 「(初期市場として着手した)物流分野では無線タグのニーズはあったのですが、ICのコストが安くならなければならないという条件がありました。しかし、当時は安い無線ICを作ることが不可能だったのです」(竹澤氏)

雌伏の10年を余儀なくされた“幸せのカード”

 ソニーが物流分野向け無線ICの開発を断念したのは1990年頃のことだった。しかし、いったんは不成功に終わった技術が、新たな市場向けに衣替えをする事になる。鉄道交通分野だ。

 ソニーは1988年の段階から、物流分野以外に鉄道分野での無線ICの可能性も検討していた。鉄道総合研究所とも意見交換をしていたという。1990年に物流分野向け無線ICの市場化が断念された事で、未だ“名前はまだない”状態だったFeliCaは、市場化の本命を鉄道分野に切り替えた。後にFeliCaの代表的かつ巨大なアプリケーションとなるJR東日本の「Suica」開発は、ここから本格的な幕開けとなる。

 だが、鉄道総研とともに始まった鉄道分野への取り組みは、開始早々から市場投入の大きな課題を抱えていた。タイミングの悪さ、である。

 「当時、(鉄道総研から)これまで見せてた定期券を非接触IC化できないか、という話が出てきました。しかし、JRでは1990年に導入する自動改札機に磁気式を使うことが決まっていました。つまり、少なくとも10年は(JRでの)導入は遅れるという事が確定してしまっていた。ソニーの開発者はもちろん、鉄道総研の推進者の方々にとっても、(市場化の10年延期は)厳しい時期でした」(竹澤氏)

 市場導入は10年先。それでもソニーは鉄道分野での採用に賭けて、鉄道総研とともに水面下の開発を続けていた。この“長い10年”の間に、ようやくFeliCaという名前もついた。1994年のことである。

 FeliCaは「幸福」を意味する“Felicity”と、“Card”を組み合わせた造語だという。1988年以降、名前を持たなかった技術にソニーの開発者たちは、「幸せのカード」という名を与えたのだ。そして同年、10年の雌伏を余儀なくされたFeliCaに福音がもたらされた。香港「オクトパスカード」での正式採用の知らせである。

FeliCa/モバイルFeliCaの歴史を振り返る(後編)

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