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無報酬の仕事に熱中してしまう理由シャドーワークの心理学的意義とは?(1/2 ページ)

シャドーワークをマネジメントすることは難しい。インフォーマルであることが存在理由であるものをフォーマルな場でコントロールしようとすると、意図、思惑などが透けて見えてしまうからだ。結局自然発生を待つしかないのだろうか。

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嫌がらせを止めさせた異邦人の知略とは?

 企業内のフォーマルな組織やプロジェクトではなく、それらに縛られないインフォーマルな集団の独自活動をシャドーワークと呼び、それがビジネス、組織を変化させる大きな力となるケースが増えているという。参照記事ここでは心理学的な視点から、「報酬」と「動機」の関係で捉えなおすことで、シャドーワークの持っている意味、意義を明らかにしてみたいと思う。

こんな昔話がある。

 米国南部の小さな町に、ある外国人が洋服の仕立て屋の店を開いた。しばらくすると町の少年たちが「よそ者、よそ者」と店先ではやし立て、嫌がらせをするようになった。

 困った店主は一計を案じる。なんと嫌がらせに来た少年たちにこう言ったのである。「私をよそ者と呼ぶ少年にはごほうびとして10セントあげよう」。

 10セントをもらって大喜びで帰っていった少年たち。もちろん次の日も10セント目当てにやって来た。しかし店主は「今日はあんまりお金がないんだよ」といって5セントを払った。そしてさらに翌日やってきた少年たちに店主は「もうこれが精一杯なんだよ」といって、1セントを支払った。少年たちは2日前の10分の1の金額に不満をいい、「馬鹿らしくてやっていられるか」といって、以後2度と店主の店に来ることはなかった…。

 この話に、異邦人の知略の鋭さを見る人もいるかもしれないし、いじめの撃退法のヒントを見る人もいるかもしれない。しかしこの話のポイントは報酬によって行為の目的を別なものにすり変えてしまう、というところにある。そもそも少年たちの行為の「目的」は「新参者に対する嫌がらせ」でありそれが「満足感=やりがい」につながっていたはずである。ところがそこに金銭が絡むことにより、「目的」は「お金」にすり変わり、「満足感」も「お金を得ること」に変化してしまった。

 そして金銭(=報酬)が期待していたほど得ることができないと知るや、少年たちの「満足感=やりがい」も急速にしぼんでしまったのである。つまり店主はお金を払うことにより、少年たちの目的を知らぬ間に「異邦人攻撃」から「お金」に変えてしまったのだ。

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