ECと電子商取引のはざま(その1)eマーケティングの現場から技術者向けの、eマーケティングTIPS (1)

» 2000年12月09日 12時00分 公開
[水島久光,株式会社 インフォシーク]

 IBMが「eBusiness」を最初にスローガンに掲げたのは、1997年正月の新聞広告だった。あれ以来、一貫してこのスローガンがIBMのショルダーを飾りつづけてはいる。一昨年、テレビコマーシャルが始まってからというもの、僕はなんとなくこのスローガン自体が「呪文(まじない)」のように聞こえ、耳について離れない。特に、あの、酒屋の親父がニタニタしながら「イー・コマースだよ」と自慢気に口にするシーンは。

 最近では「世間でいわれているほどもうかっていない」eBusinessの現実を、さまざまなビジネス雑誌をはじめ、週刊誌までもがスキャンダラスに扱うような論調が目立ってきた。まるでいかがわしい宗教団体のご利益の正体を“暴く”がごとくに。

 なぜ人々は、こんなに「EC」に対して「新しい、奇異なもの」としておっかなびっくり接しているのか?最近僕はこんなふうに思う。「エレクトロニック」のみならず、「コマース」という言葉にも初めて出合ったからではないか、問題はECの“E”にあるのではなく、“C”にあるのではないか、と。

 ECを日本語に置き換えてみれば、何のことはない。「電子化された商取引」ということにすぎず、商取引の手段が変わっただけである。であれば、ごく自然に今までの商取引の延長にある言葉として接することができるはずなのに。

 日本経済において、ECという言葉が使われるようになるより以前に、「コマース」という言葉を日常的に使うことはなかったのではないか? 要するに、日本のベテランビジネスマンにとっては「コマース」という言葉に接するときの耳慣れないぎこちなさが、その言葉の持つ意味を理解しようとする意欲すら失わせてしまっているのではないか。

 テクノロジの世界にはむやみやたらに英語がはびこっているが、技術そのものを扱う技術者にとっては、それらは単に操作上の「記号」にすぎないのかもしれない。が、その技術を応用している日本のベテランビジネスマンの立場からすると、その言葉から受け取る印象やそれまでの慣習を無視して、いきなりその言葉に適応することは難しいのである。

 このECという世界に、なにやら元気のいい関西の個人サイトの商店主がいるらしい。“なんや、たかだか電子をつこうた商いでっしゃろ”といわんばかりに飲み込みがいいのだという。とはいうものの、とりあえず分かりやすい既知の日常語にあてはめて、理解できればいいというものではない。こうした個人ショップのオヤジは確かに商売のコツをつかんでいて、ECらしきことをしているかもしれないが、ECが持つ本来の意味についてはどれだけ理解できているのだろうか。

 だからといって、ここで万国共通語(?)である英語の語学力が必要だなどということを僕は説いているのではない。むしろその逆で、新しいムーブメントに対しては、耳慣れない言葉に踊らされることなく、そこに隠された真意とは何なのか、そのものの意味にこだわる姿勢こそが必要だということなのだ。僕たちはECという名の何をやっているのか、その意識も持たずにECという“呪文”を唱えているだけでは、それこそどこかの教団の手足となんら変わりはない。

Profile

水島 久光(みずしま ひさみつ)

株式会社 インフォシーク 編成部長

mizu@infoseek.co.jp

1984年慶応義塾大学経済学部卒業後、旭通信社にて、ダイレクト・マーケティングを手がける。1996年にはインターネット広告レップ「デジタルアドバタイジングコンソーシアム」の設立に参加し、インターネット・マーケティングに関する多くのプロジェクトに携わる。そのうちの1つ、情報検索サービス「インフォシーク」の日本法人設立準備にあわせて旭通信社を1998年10月に退社し、「インフォシーク」を運営していたデジタルガレージに入社。1999年6月、インフォシークの設立後、現職に着任。現在、日本広告主協会傘下のWEB広告研究会広告調査部会幹事も務めている。日経BP社『ネット広告ソリューション』インプレス『企業ホームページハンドブック』(いずれも共著)。


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