「CIO」という固定観念から、自らを解き放て!進化するCIO像(1)(2/3 ページ)

» 2008年07月28日 12時00分 公開
[碓井誠(フューチャーアーキテクト),@IT]

“教科書”などなかったあのころ

 私は30年間、情報システムの仕事に従事しており、25年間をセブン-イレブン・ジャパンで、その後はフューチャーアーキテクトで、IT活用・業務改革の立案、実行、コンサルティングや、実行部隊の支援を行っている。

 セブン-イレブン時代には、紙テープのパンチやアウトプット帳票のデリバリーに始まり、製造、物流、マーチャンダイジング、営業、店舗などにおける業務プロセスのデザインやシステム構築、また米国、中国での企業再建や進出実務、金融ビジネスやeコマースといった新規事業の立ち上げなど、さまざまな経験をさせてもらった。今回まず紹介するのは1978年、当時500店舗だったセブン-イレブンに入社して早々のことである。

 当時、セブン-イレブンでは、親会社によるシステム開発・運用から脱却し、独自のシステム運営に切り替える計画を進めていた。そうした中、私は店舗からの商品発注を、電話発注からコンピュータ発注へ切り替える業務に携わった。

 しかし、セブン-イレブンのシステムメンバーは私も含めて3名しかいなかったため、われわれはパートナーとして野村総研、NECに全面的支援を要請し、システムの開発・移行を進めた。マンパワーもノウハウも足りない状況の中、おのずとアウトソーシングモデルを採用していた格好である。

 具体的には、社内の業務、システムのニーズを整理したうえで、パートナーとともに業務プロセスやシステムのデザインを行い、システムの開発・運用についてはパートナーに全面的に任せる方式をとった。つまり、すでに独自システム化のスタート時点から、業務設計とシステム化を両輪で進める、情報システム部門としてのアプローチが必要であった。

 コンピュータによる発注方式の検討は、実際に店舗に入り、業務の分析と問題の抽出・整理をパートナーと一緒に行うことから始めた。当然ながら、当時はパソコンがない。そこで簡単な発注入力の方法として、商品コードをバーコード化した発注台帳を作り、バーコードリーダー付きのオンライン端末をNECに開発してもらった。

 ネットワークとホスト側のシステムは野村総研に開発してもらい、日本で最初の店舗から問屋までをつなぐ独自の発注システムを構築した。いわば、情報システム部のマンパワーの問題から、業務やシステムの現状まで、あらゆる状況を把握し、自ら考え、判断して、必要なものをそろえながら、計画を完遂した形だ。

業務範囲を自分で線引きしない

 これ以降、私が常に心掛けてきたのは、業務プロセスのデザインについて、最初からその実行までかかわることである。部門間のつなぎ目に位置する業務や、他部門が手の回らない業務は、すべて自分たち、情報システム部の仕事と考えた。また、業務のあらゆる領域において、ITやシステムをいかに最適化し活用するかを、常に自分に問いかけるようにした。そうして各部門の連携を支援しつつ、業務設計とシステム化を両輪で進める体制を社内で共有するよう努めてきた。

 しかしこの過程で、CIOの在り方や情報システム部門の機能が社内で議論されたことはほとんどなかった。CIOという言葉もセブン-イレブンでは使われてこなかった。だが、ITを活用する中で、情報活用やシステムの効果が表れてくると、組織全体のIT活用マインドが自ずと高まっていった。そして、業務改革やIT革新の効果が上がるにつれ、情報システム部門はCIO機能を果たす組織へとおのずと成長していった。SIパートナーとの連携や共同イノベーションも大きな成果を上げたと評価されるようになった。

 この間、経営トップの指示は、「経営方針に基づいた問題解決提案を継続的に行うこと」「客観的視点でシステムの適用効果を見極めつつ、現場業務を徹底的に分析し、現場以上に現場業務のあるべき姿を考えること」の2点であった。

 いま思うと、この2点が、CIOのあり方を物語っていた。私はこの2点に取り組む中で、自ら業務の範囲を線引きすることなく、固定観念を捨てて現状を分析し、新鮮な目で仮説を立て、実行することの重要性を学んだと思っている。ITが戦略的に活用されるようになって、わずか20年──CIOとは自ら役割を見いだし、作り上げていくものだと感じている。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

注目のテーマ