ここで個人要因に関連する事柄として、ワークモチベーションという概念に触れておきたい。
ワークモチベーションとは、産業界を対象とした社会心理学で使われている言葉/概念だが、要するに「人はなぜ働くか」という命題についての考え方である。
筆者は、昔から「人はなぜ働くか」という命題に興味があり、よく酒の席などで「もし3億円宝くじが当たったら、あなたは働きますか?」という質問をすることがある。
この場合、「3億円宝くじ」とは「一生食べるのに困らない財力」を象徴している。つまり、この質問は「一生食べるのに困らない財力があるとしたら、あなたはそれでも働き続けますか?」という質問であり、その人のワークモチベーションを探るための質問なのだ。
「3億円あったら働かない」と答える人は、「食べていくため」がワークモチベーションになっている。逆にいうと、彼らは「働く必要がなければ働きたくない」と考えているのである。筆者の経験では、このように答える人は決して多数派多ではないが、確実にいる。また、そういう人々は「仕事以外に没頭できる趣味」を持っていることが多い。
多数派は、やはり「3億円あっても働く」と答える人である。彼らは、食べていくためという目的以外のワークモチベーションを持っているわけである。では、どのようなモチベーションかというと、その人により表現がさまざまなのだが、まとめてみると以下のように分別できると思う。
これらのワークモチベーションが満たされているとき、人は元気に働くことができる。また、何らかのストレスが「快ストレス」となってワークモチベーションをさらに高めるという事態もあり得る。
逆にワークモチベーションが満たされないとき、人は心理的葛藤を感じ、ストレスは「不快ストレス」となって、ストレス反応を引き起こすことになる。従って、ストレス反応を引き起こしている人に対応する場合には、その人のワークモチベーションを把握することも、非常に有効なアプローチとなるのである。
職場におけるメンタルヘルスには、セルフケアとラインケアがある。
セルフケアとは、自分自身でメンタルヘルスが不調にならないように注意することであり、ラインケアとは、上司と部下の関係あるいは組織的対応によって労働者のメンタルヘルス不調を予防することである。
ラインケアを実施するには、心理学的な専門知識やカウンセリングなどの専門技術が必要とされる部分が多く、そのために産業医やカウンセラーといった専門職が存在する。
ただし、いわば素人でもできる日常的・基本的なケアがあり、これを実践するだけでも、十分にメンタルヘルスケアになる。それは、「上司・同僚・部下のワークモチベーションを知ること」であり、「ワークモチベーションはその人の価値観・人生観そのものであり、人それぞれに異なっており、相互に尊重すべきものだと認識すること」だ。
上司や同僚、部下のそれぞれが、自分のワークモチベーションを知り、相手のワークモチベーションを尊重し合っているような職場では、メンタルヘルス不調に陥る人も少ないし、何らかの理由でメンタルヘルス不調に陥ったとしても、その原因を早く正確に把握でき、より適切な対応が可能となる。
作品中の大塚マネージャは、上述のAとかBのようなワークモチベーションを持っているタイプであろう。彼は「自分の価値観」というフィルターを通して、堺に応対してしまった。ところが堺のワークモチベーションは、いわば「食べるため」だけであったために、大塚の叱咤激励はまったく通じなかったのである。
「他人の価値観を尊重すること」
今後、職場のメンタルヘルスケアを実践していくうえで、さらには、コンプライアンスに則した職場環境を実現させるために、必要なのはこれであろう。
【次回予告】
次回は、「問題社員の解雇」について解説します。問題を引き起こした社員に対して、企業はコンプライアンスの観点からどんな対応をすればよいのでしょうか。具体的な対策とともに分かりやすく解説します。ご期待ください。
▼著者名 鈴木 瑞穂(すずき みずほ)
中央大学法学部法律学科卒業後、外資系コンサルティング会社などで法務・管理業務を務める。
主な業務:企業法務(取引契約、労務問題)、コンプライアンス(法令遵守対策)、リスクマネジメント(危機管理、クレーム対応)など。
著書:「やさしくわかるコンプライアンス」(日本実業出版社、あずさビジネススクール著)
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