持続可能社会とITシステムはどう在るべきか(後編)何かがおかしいIT化の進め方(46)(3/4 ページ)

» 2010年06月21日 12時00分 公開
[公江義隆,@IT]

新しい社会システムの構造

 2つ目「社会システムの改革」については、経済的な国の存立と省資源社会を一体の問題として考えた「新しい産業構造」と「社会インフラの仕組み」のプランを早急に描く必要がある。「新しい社会の枠組みにおけるルール整備」がなされなければ、先行き無駄になる社会投資をしてしまうからだ。これは優れて政府の役割である。全体の新しいシステムの枠組みさえ示されれば、個々の要素は民間の仕事だ。

 産業構造については、まず第1次産業(農林水産業)の立て直し、地方と自然の再生、併せて食料自給の早期達成が必須課題になる。農業は太陽と水と大地という「自然」による、極めて効率的な生産方法であり、同時にこれに立脚する地域文明、産業・経済や文化の根である。歴史的に見ても、農業がぜい弱な国は発展が妨げられ、不安定さを払拭できなかったように思う。

 日本農業の土地生産性、つまり農業技術は世界でトップだ。競争力が劣る原因の1つは、諸外国よりひとけた小さい耕作規模にある。零細農家の延命策のような「戸別所得保証」などとは逆のアプローチが必要だ。なお、最近広がっている農作物の工場生産は、電灯、循環水ポンプ、化学肥料などの人口資源/エネルギーを使った第2次産業である。自然をベースとする第1次産業の農業とは別物と考えるべきだろう。

 一方、製造業については、中国、インド、ブラジルに続くアジアの国々、一部のアフリカ諸国が今後数十年間にわたって日本のライバルとして立ちはだかることになる。問題ははっきりしている。標準規格品――いわゆるコモディティ分野では、人件費の安いこれらの国による生産品に対して、“MADE IN JAPAN”に勝ち目はない。

 本連載の第39〜42回でも述べたことがあるが、1960年代の日本の高度成長期、米国に攻め込んだ日本製品の競争力の源は“ほどほどの”品質と低価格(当時の為替レートは1ドル当たり360円、人件費は今の10分の1)であった。ほどなく多くの米国製造業はこの分野から撤退を余儀なくされ、日本製品が市場を席巻した。しかし、いま、日本は新興国から攻められる立場に置かれている。

 いま必要なのは“温故知新”である。組み立て産業を見れば、世界には、“ほどほど”の品質と低価格、大量供給が決め手になる「新興国を中心とした膨大な規模の需要」と、「価格は高くとも高品質を求める、先進国や新興国における一部の層の需要」がある。前者に対してはコスト的に海外生産するしか手がない。投資に対する利子や配当が国内へのリターンになる。しかし、この分野は人件費の高騰と資源/エネルギー問題が発展の制約になる可能性が高い。この資源・エネルギー問題を乗り越える術が新たな競争力の源になるのだろう。

 後者については、新興国の中国や、インド、ブラジルなどの巨大な人口を考えれば、「その中の一部に過ぎない」とはいえ、高品質を求める層は決して小さなマーケットではない。そこは、卓越した商品コンセプト、デザイン、技術、品質、ビジネスモデルとマーケティング力など、総合した“知恵(ソフト)”が勝負になるフィールドだ。

 設備コストが大きなウエイトを占め、スケールメリットの大きい重化学工業では、「最新技術を使った効率の良い、新型の大型設備」を持つ企業が競争力を持つ。更地に新設できる後発組(新興国)に有利な構造であるが、ニッチ分野に特化して、ノウハウや技術の蓄積を重ねて独自の位置を築く道もあるだろう。 医薬品など研究開発型の事業では、日本はいまだに先進国を追う位置付けにある。グローバル化の先端分野にあり人材資源が鍵になる事業である。先進国、日本、豊かな資本力で人材を集めて伸びようとする新興国の間の今後のレース展開は予断を許さない

 IT関係者も、新興国は「人件費の安い下請け」ではなく、“新しいマーケット”という視点から対処の判断を誤らぬことが肝要だ。IT分野の業務の中には、上記の組み立て産業的な性格、重化学のような設備産業的な性格、医薬のように研究開発型の性格、ファッション産業的な性格の事業や業務がある。“各要素の先達”がほかの分野にすでにいるのだ。なぜIT現場は“3K”で人気がないのか、また「IT分野はまだ“先端分野”なのか」、もう一度考え直してみてほしい。

再考が求められる「社会インフラのシステム」

 見直すべき代表的な社会インフラ/システムとして、交通・輸送システムを考えてみる。各交通手段のCO2排出量(≒使用エネルギー資源量)は、「人の移動」については鉄道:1に対し、バスはその2.7倍、航空機は5.7倍、自家用車は8.8倍、モノを輸送する物流手段としては、鉄道:1に対し、船舶は1.7倍、トラックは6.6倍といわれる。

 長年にわたり、エネルギー効率の悪い自動車や航空機から鉄道や船舶への移行(モーダルシフト)の必要性が指摘され続てきた。しかし、種々の背景理由があるのであろう。現実にはこれとは逆方向の “フェリー会社がつぶれるような道路料金施策”や“(実施は見送られているが)ガソリン税の撤廃“、“鉄道の従来線を消失させるような新幹線や高速道路の建設”などの政策が進んでいる。

 インフラは一度消滅させるとよみがえらせるのが極めて困難だ。この辺りの政策は早急に見直すべきだろう。基本的に、人やモノの移動を少なくする、少なくて済む社会が求められる。地方分権や地産地消にも、この観点からの検討が必要であろう。「消費に対する限りない欲望」や「スピードに対する欲求」を少し遠慮すれば、日常生活や教育や医療サービスを利用する際に、「移動が少なくて済む社会」は基本的に住みやすい社会のはずだ。

 ただし、このような社会システムに競争原理をいかに埋め込めるかは大きな課題になる。 ほかの多くの社会システムの在り方について、読者それぞれが考えてみていただければ幸いである。

ティータイム 〜長持ちするものを作り、大切に使う文化が必要〜

 身の回りを見回してみると、本当は「古くなっても使えるもの」は多い。例えばパソコンはメモリだけは増強したが、2002年に買ったWindows XPの1ギガヘルツのノートPCで、現在でも特に不自由することはない。テレビは30年余前のものは高品質で無故障だが、その後の新しい多機能のものが先に次々故障した。40年前の余計な機能のないオーブントースターには壊れそうな部分がない。50年前のラジオもオーディオ機器も、電源部品の一部は交換したが健在だ。円が安く資源輸入が窮屈な、それほど豊かでなかった時代の機械は、文字通り「耐久」消費財として作られていた。


 豊かな時代になってからは、多くの製品が「使い捨て」消費財になった。明らかに電源の一部品の故障と思われた新しいパソコンは、一体構造で作られているゆえに、「マザーボードごと交換が必要」と言われた。消費者とメーカーの間で「カタログを飾る機能を気にする習慣」「短期買い替え習慣」が始まった。「多機能」を「高品質・高性能」と誤解するようだ。引き変えに基本機能・性能や信頼性・寿命はかえって低下したものも少なくない。


 1人1人が「一生のうちに資源やエネルギーをどれだけ使うか」といった見方をしてみて、これらの使用を最小化するため、“長持ちするようにものを作り、それを大切に長く使う”文化が、特に資源の乏しい日本には必要になる。


 例えば、耐久消費財や建物の耐用年数が2倍になれば、使用資源も半分になり、原材料費単価は2倍まで許容できる。原料輸入量も半分になるから国際収支も楽になる。CO2排出量も半分になる。商品寿命を延ばすため、材料品質などを上げる必要性や、長持ちさせるための技術も必要になるだろうが、カタログを飾るだけであまり有用ではない付加機能の開発やマーケティングコストは減らすことができる。


 一方、消費者にとっては価格が2倍になっても負担は変わらない(購入を支援する新しい金融サービス制度は必要かもしれない)。供給側(企業)の売上額も利益も減らない。使用資源も半分になり原材料費単価は2倍まで許容できる。原料輸入量も半分になるから国際収支も楽になる。CO2排出量も半分になる。作る量は半分になり、労働時間は半分になるが、給料は減らす必要はない。余った時間については、地域ボランティア活動などに充てれば、今後ますます不足する福祉のための労働力確保につなげることもできるし、子供を健全に育てるための時間に充てることもできる。


 また、発展途上の新興国にとっては、今後、資源が成長の足かせになる可能性が極めて高い。特に内部に数々の矛盾を抱え、1人っ子政策の結果、30年後には高齢化社会を迎えることになる中国にとって、この10〜20年の間に一定の安定した水準まで成長しておくことが必須の課題なのだろう。なりふり構わぬ資源外交の裏にこんな問題を感じる。「長持ちするようにものを作り、それを大切に長く使うことによって、資源使用を抑えて豊かな社会を築く文化」は、新興国の今後にとっても重要なはずだ。


 古い街や地方に行けば、築100年の立派な木造家屋がある。3代目になるその家の住人には住居費の負担はほとんどない。その一方で、30年で建て替えする都市のコンクリート住宅がある。都市生活者の収入の数十%が住居費に消えてゆく。フロー経済の肥大化に走り、ストックを軽視した結果の、実は貧しく忙しい社会とはいえないだろうか。要は、ガラクタを大量に買い込み、使い捨てにするのではなく、必要最小量の良いものを末永く使う文化を創り、それを技術と一体のものとして世界に発信してゆくことだ。


 なお、詳しくは別の機会に譲るが、以上のような取り組みを実現するうえでは、今後、解決法を見いださなければならない次のような大きな課題もある。これらは日本において最も研究しやすいはずの問題だ。

  • 昨今のEUやユーロの状況を見るまでもなく、突出して進んだ経済・金融のグローバル化に対して、世界はこれを制御する政治手法をまだ見いだしていない
  • 日本、さらに今後多くの先進国が見舞われることになる高齢化、人口減少という「消費の自然減」に対する経済対応の方法を見いだしていない(従来の経済理論は、暗に潜在需要の増加を前提にしていたと思う)
  • 経済を安定的にダウンサイジングさせてゆく方法を見いだしていない
  • 人口問題を解決する術を人類はまだ持っていない(身近なところでは、生命倫理の問題を医療関係者に押し付けておける限界にきているように思う。それにしても、歴史上、人類ほど短期間に個体数を増加させ、地球環境や生態系に負荷を懸けて生き延びている生物は珍しい)

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