他山の石――政治を顧みて学ぶマネジメントの在り方何かがおかしいIT化の進め方(51)(2/3 ページ)

» 2011年04月27日 12時00分 公開
[公江義隆,@IT]

部下――問題を解決してくれる存在

 人間は他人の喧嘩を見るのが好きな動物である。自分を善人、相手を悪人に仕立てて喧嘩をしているように見せかけ、自分に関心を集め、人気を得ようとする手法がある。しかし、観衆は面白がった一利の代償に百害を被ることになる。

 さらに、本当に喧嘩してしまえば、そしてその相手が自分が使うべき部下なら、本当にバカなことが始まる。過去からの経緯、仕事上の知識や問題点、その解決法など、“現場のエキスパート”はその分野の知識や知恵のベースなのだ。「基本的にはそういうことなっていますが、実際には……」といったことや、「それをやるなら、こんな方法があります。このことに気を付けておかなければなりません」といったことがいろいろあるものだ。彼らを外してしまえば、プライドを傷つけられ、「できるものならどうぞご勝手に。お手並み拝見」ということになる。

 部下に問題があって、その仕事を取り上げてしまったとしても、代わりに素人の自分がうまくやれるものではない。「事故を起すな」と言って電車の運行を止めてしまうような結果になる。

 改革を行うなら、まず自分が十分な力を付けることが大前提だ。その上で、時間は掛かっても、周到な準備の上、力のあるメンバーを集めた協力体制を作らないとうまくは行かない。困難に直面したとき、部下や仲間が火事場の知恵を出してくれる。

 破壊は、権力によって短期間にできるが、混乱を収拾して、さらに新しい信頼関係を作るには、気の遠くなるほどの時間とエネルギーを必要とする。そうしてもうまく行く保障があるわけではない。急がば回れである。

組織行動――役割分担

 問題解決には、多くの人を巻き込んで、お互い協力して進めていくことが必要になる。一つの組織に属し、それなりの立場にあるはずの人たちが、外に向かって各人バラバラに好き勝手なことを言ったり行動したりすれば、それだけで周囲はビックリしてしまう。その組織が何を考え、どっちを向いて何をやろうとしているのか、誰の言うことを聞けば良いのか、誰と話をすれば良いのか、誰が責任者なのかさっぱり分らなくなる。周囲を混乱させ、進める側の力は相殺され、話を進めることすらできなくなる。闊達(かったつ)な議論は内部でやるものだ。

 チームとして人が力を発揮するためには、ビジョン、戦略、方法についての共通認識がまず必要である。その上で各人の役割分担を明確にしておかなければならない。組織運営の基本である。

 なお、大きな問題、小さな問題に関わらず、任せられると自分の好き勝手にやっていいと誤解する人がいる。多岐にまたがる事項や、微妙な問題などについては、局面局面でよく状況や各人の発言や行動の確認や調整をしておかないと、齟齬を来たすものである。

 問題の性質によって多少異なるが、定期的な連絡会のようなものは必須である。「必要なときには連絡する」というのは、多くの場合、機能しない。困難な段階など、お互いの連携が本当に必要なときは、多くの場合、大変多忙になっている。目先のことにとらわれて、連絡は後回しになりタイミングを失する。相手が解決策やその知恵を持っている場合もある。自分は問題ないと思っていても、相手にとっては大問題という場合もある。

危機管理――責任者が作る安心感と緊張感

 非常時にはマネジメント能力の差が顕著に現れる。責任者はただちに対策本部を設け、駆け付けて指揮を執らなければならない。問題がすでに発生しているのに、責任者が外へ出かけてしまうなどというのは論外として、「必要なことはITによって連絡が取れる」、「必要な場合はすぐ駆け付けられる」などと言って、“責任者が現場にいないこと”自体が問題を大きくする。責任者がそこにいることが、周りに安心感を与え力を発揮させる拠り所になる。

 対策は時間との戦いになる。わずかな意思決定の遅れが事態をさらに悪化させる。緊張感、切 迫感がなければ決定が遅れ、その内容は中途半端なものになりがちである。

 不完全な情報の下で、次々と意思決定を迫られるから、ただ一つの情報の連絡ミス、また情報内容の評価ミスが、結果を決定的にする。人は、意識していないと、少し前の重要な情報より、直近の情報に意思決定が左右されやすい。情報に対する能動的は態度(何が、どうなら、どんな決定をするか、そのための情報は何か、といったことのシミュレーションを常に頭の中でしていること)が必要になる。「まず必要な情報収集をして、状況を十分に把握してから、何が必要かを考える」などとのんきなことを言っていられない事態なのである。

 対策本部は、全体状況――つまり、情報が網羅的に見え、なおかつ緊迫感のあるベストミックスな環境に設置することが必須である。また、組織は指揮命令系統が一本化された単純なものであることが大切である。組織をたくさん作るほど、事務作業の増加が実務の手を奪い、調整に手間取って決定が遅れ、混乱し機能しなくなる。

 1995年の阪神淡路大震災では、時の政府の初動は鈍かった。2日後に、首相がようやく現地入りして「必要なことはやる」とは言ったが、「何をやるべき」なのかはよく分かっていないようだった。救いは、彼が「自分の力を知っていた」ことだった。「責任は自分が持つから」と全てを周囲に任せた。やれる人が力を振るい、やるべきことが進むようになった。2000年に鳥取県西部でマグニチュード7.3、震度6強の直下型大地震があった。「後のこと(多分、お金や法律面など)は政府が責任を持つから“必要なことは何でもやってくれ”と、総理が言ってくれたので、思い切った施策が打てた」と、当時の知事は語っている。

 その後、危機管理体制の見直しはいろいろされては来たようだが、昨今の、口蹄疫、円高、大水や噴火などの自然災害、尖閣諸島、北方領土、朝鮮半島、警察庁の機密情報流出、日本国債格付けなど、どれも必ずしもうまく対応できたとは考えにくい憂慮すべき状況だ。

 「原子力発電所がテロリストに占拠されたら」「H5N1型の強毒型のインフルエンザウイルスの流行が始まれば」「北朝鮮の体制が崩壊して難民が大量に発生したら」「国債の暴落が始まれば」「石油をはじめ資源価格の暴騰でインフレになれば」「大地震や大水害が起これば」――これらは、明日にでも起こる可能性のある事態なのだが、ひたすら起こらないことを祈るしか仕方がないのだろうか。

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