“影”から目を背けてきた原発とIT何かがおかしいIT化の進め方(52)(2/3 ページ)

» 2012年03月09日 12時00分 公開
[公江義隆,@IT]

製品の“価値”はどこに?

 こんな話を聞くと、私は1980年代、“JAPAN AS NO.1”と言われ、多くの日本人が“JAPAN IS NO.1”と勘違いしバブルに踊ったことを思い出す。「実物の価値とはかけ離れた期待」に基づく虚像がバブルだ。バブルは必ずはじける。

 1990年代、はじけたバブルの後に残ったのは、不良債権、低生産性で国際競争力のない国内サービス産業とそれによる高コスト構造の社会、そしてかつて“AS NO1”であった製造業の“円高”による空洞化などなどであった。これらの影響は(その後のグローバル化の影響もあるが)20年後の現在なお尾を引いている。

 紛れもない事実は、iPhoneが稼ぎ出す利益の大半をアップルが手にすることだ。ボーイングB787についても、中小企業の持つ技術についても、おそらく同様であろう。ITのいろいろな分野でも同じようなことが多々あると思う。実態は「日本には優れた技術が、今“まだ”ある」、「中小企業の中には優れた技術を持つ企業“も”ある」と言い換えるべきなのだと思う。

 この十数年で、日本以外の国や企業、顧客の求めるものが変わった。さらに日本自体の状況も変わった。しかし、日本社会と産業の構造はほとんど変われていないように見える。1人1人が「この先どうなるか?」ではなく、「今から何をどうするか?」という発想で向き合ってみると真の問題と課題が見えてくると思う。

「日本の高い技術力」とは、いったい何の技術を指すのか

 今、日本は「素材や部品という要素の技術は重要なものではあるが、それがいかに優秀なものであろうと、それだけで大きな価値を生むのはなかなか難しい」時代にあるという事実と、その認識が大切だと思う。世の中の技術水準が上がるということは、1つ1つの個々の技術の位置付けが下がることにもつながっている。部品や素材などの「個々の組み合わせ方に製品の価値が左右される」傾向が強まってきている。 「組み合わせ方により高い価値を創り出す技術」とはどのようなものなのか、ぜひ考えてみていただきたいと思う。“大変広い分野の知識によって成り立つもの”ということに気が付いてほしいと思う。

 なお、他人の話やメディアの記事で知った結論だけで分かった気にならないでほしい。「知っている」と「分かっている」は明らかに違う。行動に踏み切れる覚悟に至らなければ本当に理解したことにはならない。小さい話になるが、IT投資で「○○の効果が期待できる」などと他人事のように言っているレベルと、当事者として「○○の効果を出します」と言うレベルの違いに似ている。前者に比べ、後者の考える内容は桁違いに広く深いものになっている。

 例えば、一部に「日本の原子力発電の技術は高い」という論調がある。しかし、常識的に考えて、これほどの大事故を起こしてしまう技術が高いはずはない。優れていたのは、これまた、原子炉の圧力容器などに使う不純物含有度の低い鋼材を作る材料の技術や、これら大容器を作る鍛造技術などであろう。あるいは、スリーマイルズ島やチェルノブイリ事故後、原発建設が止まり、世界の多くの原発企業が事業を後退させる中で、建造を続けることで維持してきた建造に対する現場の技術のことを「高い」と言っているのであろうか。

 現在の原子力発電所全体を構成する設計概念やその技術は、地震や津波などとは縁遠い米国東部の1960年代の人たちが考えたものだ。IT分野でも他人が作ったプログラムのメンテナンスには苦労する。全体の考え方が分かっていないと個別部分の理解には困難を伴う。おそらく原発にもこれと同じようなことがあったのだと思う。日本の技術者が真に全体を理解し、高い技術と精神を確保していたなら、こんな原発を放置しておいただろうか。

補遺〜東日本大震災と原発事故から感じること〜

 枝野経済産業大臣は、原子力損害賠償支援機構の開所式で、「役員報酬が競争にさらされている民間企業に準じて決められているのは、私は論理矛盾だと思う……」と、電力会社の役員報酬や社員給与は高過ぎるという考えを示した。


 なお、現在、問題視される電力価格の決定にかかわる総括原価方式は、安定したエネルギー供給が何としても求められた日本の経済成長期に、電力会社が発電所建設にまい進できるよう、電力事業法で定められたものであった。日本アルプスをぶち抜く難工事を伴う黒部ダムの建設に、関西電力が社運を賭けて、無謀との批判を受けながら挑んだ時代であった。


 “当時の状況に対しては妥当”なものであったと思う。問題はこれを改廃せず、既得権益として温存してきた政官財の構造であろう。


 橋下大阪市長は、大阪市役所改革に関して、「身分が保障されているなら、公務員はその分、民間より給与が低くあるべき」といった趣旨の発言をして市職員をけん制した。 かつては、「公務員は安月給」と言われていた。しかし、現在では「厚遇されている」が一般の持つイメージだろう。


 橋下市長は1969年生まれ。枝野大臣は1964年生まれ。 ちなみに、三木谷浩史氏(楽天社長)1965年生まれ、豊田章男氏(トヨタ自動車社長)1956年生まれ、寺島実朗氏(評論家・日本総研理事長)1947年生まれ、米倉弘昌氏(経団連会長)1937年生まれ、三宅久之氏(政治評論家)1930年生まれ、渡邉恒雄氏(読売新聞主筆)1926年生まれである。


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