経営の期待に応える方法〜ベネフィット・マネジメント〜失敗しない戦略実現術、プログラムマネジメント(2)(2/3 ページ)

» 2012年04月06日 12時00分 公開
[清水幸弥, 遠山文規, 林宏典,PMI日本支部 ポートフォリオ/プログラム研究会]

ステークホルダーの意見は三者三様

 デスクに戻った速水は、社内ポータルに掲載されていた今期計画を再度読み込んだ。その上で、(1)売り上げの拡大(2)クラウド対応ノウハウの獲得(3)先進企業としてのブランディングという3つのベネフィットをひねり出した。

 速水からのメールを受け取った深沢は苦笑を浮かべた。クラウド化が進めば進むほど保守工数が減る。よって、保守部隊を抱えるサービス本部の長でもある深沢にとっては、彼の部下のエンジニアを大沢の率いる開発本部へ引き抜かれる可能性が高いためだ。だが深沢は「正直、複雑なところもあるが、会社のことを考えると同意せざるを得ないなあ」と、速見の役員ヒアリングにGoを出した。

 速水がまず会ったのは、田村営業本部長である。彼はクラウド事業立ち上げチームの所管役員でもあるが、その意見は非常に慎重なものだった。

 「新規のお客さまは、ずっと利用するか分からないソフトウェアへの初期投資が大きくなることを嫌う。よって、月額課金が可能なクラウドへの移行は、すぐにでも実現してほしいところだ。ただし、ライセンス導入している既存の大企業ユーザーが、サポート低下を懸念して離れていってしまうことだけは避けたいね」

 開発部隊を率いる大沢本部長からは前向きな意見が得られた。

 「これまでは保守作業にエンジニアを取られていた。各顧客企業の環境が異なり、しかも顧客拠点への出張作業が必要なためだ。だが、クラウド提供で機能を標準化すれば、当社内からの対応も可能になる。これで新機能開発など前向きな作業に時間を使えるようになるはずだ。クラウド化は新たな取り組みで未知数の部分も多いが、エンジニアにとっては成長につながると考えていいと思う」

 そして最後は社長の相沢氏だ。まだ50代前半だが、前社長の抜擢を受け、昨年社長に昇格した。切れ者といううわさもあり、速水も緊張しながらヒアリングに臨んだ。

 「この取り組みを決めたのは、クラウド化の動きに後れを取っていることに危機感を持っていたからだ。お客さまはシステムがほしいのではなく、そのサービスが利用したいだけだ。保守料や構築料は必要悪だった」

 「クラウドへの移行当初は構築費収入が抑えられ、一時的にキャッシュフローは厳しくなるだろう。だが長い目で見れば、お客さまによりタイムリーに新しいバージョンを使っていただけ、当社側も売り上げの変動を抑えられ、経営がやりやすくなる。つまり双方にとってベネフィットがある。その意味で、クラウド事業立ち上げの方向性は、今期目標そのものと言っていい」

 そこまで言うと、相沢社長はスケジュールが立て込んでいるためか、すぐに席を立った。だが振り向きざま、不意ににっこりと笑顔を浮かべた。

 「ところで速水君、深沢さんから君の話は聞いているよ。若いが吸収力があり、難しい案件でも成功に導く粘り強さがあるとね。社長として、最重要案件に最高のメンバーをアサインすることを約束する。よろしく頼むよ!」

 速水はその背中を見送りながら、この事業に対する彼の期待の高さを感じ、身が引き締まる思いだった。


 速水はさっそく自分のデスクに戻り、6つの戦略目標に照らし各役員の話を整理し始めた。クラウド事業のベネフィットを再定義して以下のチャート図を作成し、いそいそと出力して再び深沢のデスクを訪れた。

図1 A社の戦略目標とクラウド事業のベネフィット

 深沢は速水から各役員にヒアリングした内容を聞いた上で、戦略目標とベネフィットをじっくりと眺めた。そして、少しおっちょこちょいなところもあるが、速水を「できる」と見込んだ自分の目に間違いはなかったと確信した。

 「いいじゃないか! ディスカッションを経たことで、表現がより具体的になったね。さて、次はこのベネフィットを実現するために、事業が安定軌道に乗るまでのアクションを考えよう」

 だが深沢は、そこまで言って「でも今日はとりあえずお疲れさま。久々に飲みに行くか!」とにっこり笑ってみせると、速水は即座に「はい!」と答えた。

ポートフォリオ/プログラム/プロジェクトの3層構造

 米国のプロジェクトマネジメント協会、PMI(R)では組織運営の在り方として「ポートフォリオ」「プログラム」「プロジェクト」の3層のモデルを提示している。

▼注:(R)はRegistered Trademark(登録商標)です:(R)はRegistered Trademark(登録商標)です


 前回、「プログラムマネジメントは変革実現の方法である」と解説した。「組織や事業の変革の方向性を示す」のが「戦略」であり、「戦略を実現するための具体的な取り組み」が個々の「プログラム」であり、確実な戦略実現に向けて、それらをマネージするのが「プログラムマネジメント」というわけだ。

 プログラムの上層にある「ポートフォリオ」とは、いわば「同じ経営テーマに属するプログラムのまとまり」である。プログラムの下層にある「プロジェクト」は所属するプログラム内の個別テーマを遂行する活動である。

図2 ポートフォリオ/プログラム/プロジェクトの3層構造にA社のケーススタディを当てはめてみると……

 ストーリーのA社の例で言えば、「クラウド事業立ち上げ」プログラムは、「全社戦略」ポートフォリオに含まれる。このポートフォリオには個別事業にひも付かない全社的取り組みが含まれ、他に「間接コスト削減」「スキル向上」などのプログラムが属している。そして「クラウド事業立ち上げ」プログラムは、「追加開発」「インフラ調達・設定」「マーケティング・営業」といったプロジェクトで構成されている。

 これらの3層のマネジメントは大きく特性が異なる。例えば、プロジェクトについては「プロジェクト・ポートフォリオマネジメント」という方法論があるが、これはプログラムを成功に導くために、必要かつ取り組みの優先順位の高いプロジェクトを選定し、選んだプロジェクトの進捗をモニタリングするための方法論である。一方、プログラムマネジメントとプロジェクトマネジメントは、いずれも「プロジェクト・ポートフォリオマネジメントで選ばれた案件を成功に導くためのフレームワーク」である。

 ただ、前回も述べたように、プログラムマネジメントとプロジェクトマネジメントにも大きな違いがあり、プロジェクトマネジメントは定められた成果物を期間・予算内で産み出すという、“当初計画の遵守を前提としたマネジメント”が求められるが、プログラムマネジメントは、戦略実現を志向し、かつ比較的長い期間続くため、環境変化に積極的に対応する、“より柔軟なマネジメント”が期待される。

表 PMI(R)の3つのマネジメントの比較(PMI(R)標準から研究会が作成)

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