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在郷に「テレビの灯」を点し続けた男小寺信良(3/3 ページ)

» 2005年12月12日 11時00分 公開
[小寺信良,ITmedia]
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――猟銃ですか? よくケーブルに当たりますね。

中嶋氏: だって散弾銃だもの。あとね、ケーブルって、温度変化で伸び縮みするんですよ。そうするとコネクタなんかが引っ張られて、隙間ができてそこから水が入ったり。

――ああ、材質が違うものがみんな一緒に入っているから……。

中嶋氏: あとで聞いたら、アメリカなんかではCATV局がケーブルを買って、必ず3カ月とか半年とかバックヤードに寝かしとくわけ。でも日本じゃそんなこと知らないから、新鮮なケーブルで工事するじゃないですか。もういくら工事の腕が良くてもダメなわけですよ。

――どれぐらい伸び縮みするんですか。

中嶋氏: 端のほうで10センチぐらい。それは500メートルでも10メートルでも、10センチ。ケーブルって全体が伸び縮みするわけじゃないんですよ。真ん中のあたりは抵抗もすごいから、端だけが縮むの。放送に使うケーブルって元々、張るようにはできてないんですよね。電気的に信号を渡すためだけにできてる。空中に吊るとか埋めるとか、そういう発想は全然ないんですよ。後年そういうものもできてきましたけどね。まあケーブル工事ってのはね、ノウハウが沢山ありますよ。だけどどこにも書かれてないの。みんな見よう見まねと経験だけで。

――屋外でテレビをケーブル伝送するってこと自体、それまでやってないわけですもんね。

中嶋氏: もともとは、たかだか10MHz程度のテレビのベースバンドを送るためのケーブルですからね。それを200MHzまで使うってのは、性能だって保証できないわけです。そもそも特性の測定すらしてなかった。測定器もないし、測定法もないしね。第一、特性を計るための信号発生器からないんだから。そういうものから全部自分で作んなきゃいけなかった。

――何もかもが始めてですね。

中嶋氏: 今では当たり前になったF型コネクタとか、タップオフと言われるタイプの分配器は、日本で僕がいちはやく使ったんです。アメリカにはあったんですね。当時米軍施設をメンテナンスしていた会社には、そういうものすごいものがいっぱいあるわけ。それで文献を貰って、自分で輸入してね。

今そこにある現実

 日本のケーブルテレビ業界には、とても一枚岩と呼べるような組織や基盤はない。海外資本があり、大手通信系があり、省庁主導のものや自治体のものなど、抱えている事情がまちまちだからだ。また最近ではアメリカのように、大手資本が複数のケーブルテレビ事業者を抱えるMSO(Multiple Systems Operator)と呼ばれる形態も出現してきた。中嶋氏は、ケーブルテレビの変遷をどう見ているのだろうか。

中嶋氏: ケーブルテレビの普及に一番影響を与えたのは、アルビン・トフラーっていう社会学者でしょう。彼が80年代に「第三の波」っていう本を出して、日本で講演を沢山やっている。当時はバブルでしたから、高層建築が建ち、高速道路や新幹線も整備されて、新しい受信障害が沢山できたわけです。その解決手段としてはケーブルテレビしかないわけですが、どうせやるんだったら放送だけじゃなくて、「第三の波」である情報革命をやろうとした。

 みんな、放送局をやりたがったわけですよ。放送局というものを、やってみたかった。でも実際にやってみると、番組作るのにものすごく金かかるということで、ほとんどのところは成功していないですね。こういう都市型のケーブルテレビが、いわゆるアメリカ型のCATVってものに変化していった。従来の再送信だけじゃないサービスを目指したんですね。多チャンネルと、双方向と、インターネットなどそのほかの機能も付けて。

――今の課題は、どういうところでしょう。

中嶋氏: MSO以外のケーブルテレビが心配ですね。ケーブルテレビ同士を相互接続して、どう運営するかですよね。大規模配信センターと小規模の地域的な配信センターのリンク。そのハードとソフトは何が良いのか。何も全部のケーブルテレビが受信基地を持つ必要はないわけです。IPのネットワーキングとサテライトで、どこでも取れるんですから。

――ですが今デジタル放送がらみでは、ケーブルテレビの区域外送信が問題になってますよね。

中嶋氏: ただね、元々ケーブルテレビが発展したのは、日本でもアメリカでも、区域外での受信だったわけですよ。それを今さら区域内限定って言ったって、それはものすごく矛盾なんだよね。今まで良くて、デジタルになったらダメっていうのは。

どこにいても全国各地、世界の番組が見ることが可能な仕組みこそ、「デジタルとネットワークの時代」といえるんじゃないかな。


 長年にわたり、ケーブルテレビ業界のテクニカルな部分を支えてきた中嶋氏だが、業界全体に対してこれだけ多大な貢献しても、これまで氏が受け取ってきたのは、NHK職員としての給与のみである。「NHK職員だから当然」、だろうか。確かに理屈ではそうだろう。

 のちに人づてに聞いた話だが、NHK在職時代の中嶋氏の処遇は、決して恵まれたものではなかったようだ。研究職とも実務職とも判然としない氏の業績は、当時の組織の論理では、到底組み入れる場所がなかったのである。だが、何かあれば無償でどこにでも駆けつけて、なんとかしてくれるその存在は、テレビが映らなくてこまっている視聴者やケーブルテレビ事業者からすれば、神様のようなものであったろう。

 「机の上の話は、そんなに難しくないんですよね、ケーブルテレビは。フィールドワークっていうかね、現場にそれがあるって状態が、とっても大変なわけです」(中嶋氏)

 机上と現実。今問題になっている根幹は、まさにそこのズレなのである。いたずらに空想的な未来像を描くだけでは、解決しないこともあるのだ。未来が過去の延長線上にあるとするならば、過去を知らない者に未来の行く末は見えてこない。デジタル放送とケーブルテレビの良好な関係は、今この瞬間の状態だけを考えても、答えは見つからないのだろう。

 どんなにエラそうでも、現場を知らない人は信用しないよ、とイタズラっぽく笑いながら中嶋氏は言う。机上と現実を行き来しながら歩んだ中嶋氏の言葉は、深い。


小寺信良氏は映像系エンジニア/アナリスト。テレビ番組の編集者としてバラエティ、報道、コマーシャルなどを手がけたのち、CGアーティストとして独立。そのユニークな文章と鋭いツッコミが人気を博し、さまざまな媒体で執筆活動を行っている。

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