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PSE問題報道の舞台裏に思う小寺信良(3/3 ページ)

» 2006年03月20日 13時00分 公開
[小寺信良,ITmedia]
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メディアの中で生きるとは何か

 メディア人としてどうあるべきかというのは、なかなか学ぶのは難しい。現場ではもっとヒドイことをして取材する連中は大勢いるわけだし、そういう姿を見ていると、自分もそこまでやっていいのか、あるいはそこまでやらなければいけないんじゃないか、と錯覚してしまう。

 筆者も記者発表会などで、多くの報道陣と同じ席に座ることも多いのだが、高慢な物言いで稚拙な質問を繰り出す大新聞の記者を見るたびに、恥ずかしい思いをする。また取材中の筆者の腕を無言で掴んで引き下がらせてまで、新製品の絵を撮ろうとするニュースカメラマンに出くわしたことも、1度や2度ではない。

 ワンカット撮り直すぐらい、10秒程度のロスにしか過ぎない。カメラを止めて一言声をかけるぐらい、なんということもないだろう。このような、テレビカメラが一番エラい、新聞記者が一番エラいと思っている輩に出会うたびに、こいつは先輩から何を教わってきたのかと、ひどく残念に思う。

 ここであえて自戒の念も込めて苦言を呈すれば、報道というメディアの中で生きる者は、自分達と接する人すべてが血の通った人間であり、敬意を払うことを忘れてしまってはいけない。目的の途中にある人間は自分の伝言を伝える電線ではないし、取材対象を挑発したり怒らせたりして、ほかのメディアよりちょっとでも面白い絵を撮ろうとか、そういう行為はメディア人として以前に、人間としてのモラルに反する。

 報道の現場は1分1秒を争うなどというが、本来競争をする相手は、競合他社ではなかったはずだ。取材というのは、誰かに教えて貰うという行為である。どっちがエラいだの、どっちが金払ってるだのの問題ではなく、お互いが気持ちよく話ができたほうが、別の意味でメリットがあるのではないか。

 ほかの人に言わせれば、40過ぎてもこんな青臭いことを言うから、筆者はジャーナリストとは言えないし、甘いのだそうである。だが筆者は、それならジャーナリストと呼ばれなくても結構だし、取材対象と一緒に問題を考えて記事を書くという現在のスタイルが、いつかなんとかいう名前の職業になるのではないかと夢想している。

 マスコミという名称が嫌悪感を持って使われないよう、報道する側もできる限りの努力を惜しむべきではない。


小寺信良氏は映像系エンジニア/アナリスト。テレビ番組の編集者としてバラエティ、報道、コマーシャルなどを手がけたのち、CGアーティストとして独立。そのユニークな文章と鋭いツッコミが人気を博し、さまざまな媒体で執筆活動を行っている。

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