ITmedia NEWS >

デジタル技術が身の丈を超えるとき小寺信良(2/3 ページ)

» 2006年10月02日 09時36分 公開
[小寺信良,ITmedia]

人が想像できる限界

 デジタル技術はここ10年で急速な発展を遂げたが、それは可能な限りアナログに近づく、ということでしかなかったのではないだろうか。もちろんその途中には、デジタルならではの“ぶっ飛んだ”発想のものは存在しただろう。だがそれを使う人間の想像力が付いていけなければ、使い道がない。

 デジタル化が比較的早く進行したのが、楽器の世界である。1983年に登場したYAMAHAのDX7は、フルデジタルで周波数変調を行なう方式で一世を風靡(ふうび)した。いわゆるFM音源というやつである。従来のアナログ方式では得られなかった金属的なエッジを持つ音など、デジタルならではのサウンドが80年代の音楽に与えた影響は少なくない。

 だがDX7は、音を作るという過程が非常に難しかった。元々周波数変調という方式はアナログシンセサイザーの時代から存在したのだが、操作に対する結果が人間の感覚からすればかなり非線形で、予想しづらいのである。

 それに加えてDX7は、たくさんのパラメータやアルゴリズムの組み合わせがあるにもかかわらず、液晶表示がたった2行しかないものだから、まさにドアの郵便受けから外を覗いて世界情勢を予測するような作業を強いられる。

 音源方式としては現在も有用ではあるが、人間にとって感覚的にイメージしづらいデジタルFM音源方式の楽器は90年代半ばには衰退し、今はあまり使われていない。その代わりフルデジタル回路ではあるが、操作系はアナログ的なものが楽器としては主流となっている。

 もう1つ、技術と感覚という観点で、映像がらみの話をしよう。現在カラー映像技術の根幹を占めるのは、コンポーネントという方式である。光がRGBの3色で表現できることはご存じだと思うが、この組み合わせによって得られるフルの色域は、人間の目では見ることができない部分もあり、また他色と混同したり、違いに気付きにくい部分がある。

 つまり、RGBのデータをフル帯域で保持するのは、映像記録の観点からすれば無駄であり、圧縮の余地がある。そこで人間の目で見たときに影響が少ない部分を捨てるという方式が考え出された。それが色差方式、すなわちコンポーネントである。

 コンポーネントは、輝度信号であるYと、Rから輝度信号を引いたもの、Bから輝度信号を引いたものという3つの信号を演算処理することで、映像を形作っている。Y/B-Y/R-Yという表記を、どこかで見たことがある人もいるだろう。

 この方式は非常に優れた映像圧縮技術なのだが、例えば輝度だけのY信号、つまりモノクロの映像は、人間もイメージできる。だがBから輝度を引いたもの、という映像を、人間は視覚的にイメージできない。

 映像を監視する装置の1つに波形モニタがあるが、このコンポーネントの状態を示す波形モニタも当然ある。だがそれを見ても、人間には1枚の映像と3枚に分解された波形の関係が直感的にイメージできない。

 だから多くの技術者は、コンポーネント信号を旧来方式であるコンポジット信号に変換して、コンポジット用の波形モニタで映像を監視する。コンポジット方式なら、映像の画面表示と信号表示がお互いイメージできるのである。

 もちろん方式変換を行なうため、結果には正確さが欠ける。だが技術的にいくら正確でも、人間の脳で形としてイメージできないものは、意味を成さない。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.