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本当にSEDは世に出てくるのかCEATEC JAPAN 2006(2/3 ページ)

» 2006年10月04日 09時25分 公開
[本田雅一,ITmedia]

 肌の質感表現など中間輝度における表現力の高さは今まで通りだが、今回、特に感心したのは黒への落ち際や白ピークに向けての階調表現の豊かさだ。

 黒浮きはほとんど感じられず、黒側の階調がひじょうに粘る。デモ映像の中に、タキシードを着た男性がピアノを弾くところに、黒いドレスを着た女性が近づいていくシーンがあるが、ここでのピアノ、タキシード、ドレス、それぞれが持つ質感の描き分けは、ほかの固定画素デバイスでは見たことがない見事なもの。

 また白ピークは映像信号のセットアップに含まれる情報が映像にきちんと反映されているのか、白の中に階調・立体感があり、金属質の被写体ではさらにキュンとピークが伸びて金属感が出る。

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 さらにフルHDになって画素変換が不要になったためだろう。明らかに精細感が増している。単に先鋭感を出すだけならば、液晶やプラズマでも出るのだが、ジラジラとした不自然で不快なエッジが浮き立つものが多い。ところがフルHDのSEDにはそれがまったくない。輪郭強調を行わなくとも、圧倒的に高いコントラストと階調が、スッパリと切り落としたようなシャープさと自然な輪郭を両立させているからだ。

 そして精細感の高さは、残像感のない動きを実現しているからにほかならない。映像がパンしても、高速に動くオブジェクトが存在しても、応答遅れを全く感じない。これは蛍光体の残光特性を短く設定していることもあるだろうが、なんといってもインパルス駆動による明滅で映像を表現しているからだ。シャープなだけでなく、動きの中でディテールを失わない。

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 “ブラウン管が高画質”とはよく言われることだが、ブラウン管にここまでの精細感は求められない(もちろんサイズもだが)。SEDなればこその画質が、フルHDパネルの公開により初めて世に出たのである。

 「200万の画素に3つの原色、合わせて600万もの電子銃を同時に制御する難しさ。これは想像以上のものでした。そうした意味では出荷予定が甘かったことは否定しませんが、この画質が2007年中にお届けできることには誇りを持っています」という森氏。これだけの画質を実現するための遅れだったのであれば、それも致し方ないと諦められる、特別なディスプレイであると、SEDブースを見れば誰もが実感するはずだ。

 問題は、平塚のパイロットラインを用いて量産される最初のSEDパネルが、はたしてどのような形で供給されるのかだ。

 このところ、液晶やプラズマの改良、インチあたりコストの低下などもあり、一般コンシューマーからのSEDを求める声はやや少なくなってきている。一方で最高の画質を求めるハイエンドコンシューマーからの熱烈なラブコールの大きさは変わっていない。加えて最近、筆者がよく耳にするのが、業務用ディスプレイとしてのニーズだ。

 果たして、SEDは我々の手元にどのような製品として届くのだろう。それは購入できるものなのか。それとも業務用途からスタートさせるつもりなのか。

 「我々自身、フルHDのSEDから出てくる絵を見て、次元が全く違うことを実感しています。果たして、これだけのデバイスが既存のテレビに新しいモデルを追加する程度の扱いでいいのか。最初は最高画質を求める人のために、妥協を一切廃した特別な製品を作る方がいいのではないか。業務用途も含めて、あらゆる可能性を探っています」(森氏)

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