コラム
» 2006年11月27日 12時30分 UPDATE

小寺信良:著作権保護期間延長はクリエイターのためになるか (2/3)

[小寺信良,ITmedia]

 さて、筆者はこれまでコラムの中で、著作権に関係の深い問題を何度も取り上げてきた。その中でいろいろな訴訟事例も調べてきたのだが、こと知財に関しては、日本もアメリカ並みに訴訟大国への道を歩みつつあるということを感じる。それだけ知財の国際競争が激化したということでもある。

 日本で裁判と言えば、これまでは時間がかかって面倒なもの、というのが常識であった。だが2005年4月に知財を専門に扱う知的財産高等裁判所、通称「知財高裁」が設立されたことにより、知財関係の裁判が非常にスピーディに行なわれるようになった。

 もちろん知財の侵害の状況をいつまでも放置しておくことは、経済的なデメリットが大きい。迅速な裁判は、歓迎すべき傾向だろう。だがその半面、本来はほかの法律で審議しなければならないようなことも、とりあえず著作権を絡めれば短期間で差し止めなどの処分ができるようになった。著作権が法律家にとって、実に便利で即効性のある訴訟ツールに変質しつつあるという現状は、指摘しておきたい。

 過去著作権法は、著作物を作るものとそれを利用するものの間でのみ関係する、権利の範疇と商取引のあり方を示したものとして機能してきた。だが現代のコンテンツ利用は昭和中期までのように、本を買う、ラジオを聴く、レコードを聴く、というだけの利用だけに留まらない。

 カセットテープ、ビデオテープの発明、そしてレンタル事業の発達により、巨大なコピー産業が発生した。さらにIT技術の台頭によって、コンテンツのネットワーク流通時代を迎えた。コンテンツの身近さは、昔とは比べものにならない。今や著作権法は、道路交通法並みに庶民の生活に密着したものとなりつつある。

 道路交通法だって、専門家に話を聴かなければわからないような部分もあるかもしれない。だがほとんどの人は、学校で習ったり教習所で教わったりした範囲で、それほど困ることなく暮らしていける。それは道路交通法の原則が、「誰かの迷惑にならないように・生命の危険がないように」と言った具合に、非常に明快だからだ。

 だが著作権法は、元々一般市民の行為を規制することを第一の目的としていない。権利は誰でも著作物を作った瞬間に発生するため、一般の人にも無関係とは言えないが、そもそもは商売のための法律なのである。原則から全体像を類推することは、道路交通法のように簡単ではない。

「著作権保護団体」とは何か

 著作権法は、体系として著作者人格権と、著作財産権に大別できる。著作者人格権は、「著作者」が持つベーシックな権利で、公表権、氏名表示権、同一性保持権などから成る。主に作者の名誉に関する権利だと言える。一般に著作権は放棄できないとされているが、放棄できないのはこの人格権のほうである。

 もう一つの著作財産権は、著作物の財産面に関する権利であり、こちらは契約によって譲渡できる。これによって引き起こされる問題は、過去平沢進氏のインタビューでも明らかになったとおりだ。著作財産権を持つ者は、「著作権者」となる。

 これからわかるのは、「著作者」と「著作権者」を混同してはならないという事である。著作者はコンテンツを作った人で間違いないが、著作権者は著作者と同じではない場合が多い。「権」の字が入るかはいらないかだけで字面が非常に似ているが、その立場は全く違う。

 著作権保護団体は基本的に「著作権者」の団体であって、「著作者」の団体ではない。保護団体の会長や役員に著名な作家が名を連ねるため、一見「著作者」の代表であるかのように勘違いしがちだが、そのところは故意なのか知らずになのか、積極的に明らかにされることがない。だが話を聴く側にしてみれば、著作者としての主張か、著作権者としての主張かは、大違いだ。

 過去筆者は、「権利者団体は芸術家の総意を正確に反映していないのではないか」と疑問を呈したことがあるが、こうやって整理してみると、この疑問は全く意味を成さない。著作権者である権利者団体は、芸術家である著作者とは別人である可能性が大きいわけだし、著作者の意向を反映する義務もない。もともと「著作権保護団体は、著作者の意向を反映しない」のである。

 さて、ここまで整理したのち、もう一度著作権保護期間延長賛成派の意見を読むと、おかしな事がわかる。著作権者としての主張なのに、いつのまにか立場が著作者にすり替わっているところが見受けられるのである。

 著作権者の中には、実際に著作者でもある人も含まれないわけではないので、そのあたりの表現は厳密には間違いとは言えない。つまり非常に巧みに、主張の中で著作権者から著作者への立場のすり替えが行なわれているのである。何度もPDFを表示させて申し訳ないが、これをふまえてもう一度賛成派の主張の詳細文書(PDF)を読んでみていただきたい。そのすり替わり箇所を探してみるのも、頭の体操として面白いだろう。

 筆者が気に入らないのは、著作権者側の物言いが、著作者のそれに「なりすましている」としか思えないところだ。もっとも筆者は賛成派の団体のどれにも所属していないので、「オマエ関係ねーだろ」と言われればそうかもしれないが、一応筆者だって著作者と著作権者なのである。筆者が国民会議の発起人に反対の立場として参加したのは、こっちが頼んでもいない主張をいかにも「著作者はみんなそう思ってる」と表明されたような気がしたからだ。それは違う、と言いたかったんである。

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