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著作権保護期間延長はクリエイターのためになるか小寺信良(3/3 ページ)

» 2006年11月27日 12時30分 公開
[小寺信良,ITmedia]
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パワーバランス

 では具体的に著作権の保護期間として、どれぐらいが妥当だろうか。筆者の個人的な考えでは、

1. 作者本人または配偶者が死亡するまで

2. 作者の死亡直前での扶養家族が、25歳に達するまで

 のどちらか長い方で十分じゃないかと思う。25歳ってのが微妙だが、だいたい親のすねをかじらなくても社会人として独り立ちできるまでのオフセットとして、これぐらい見ておけばいいだろうという考えだ。それ以上すねをかじるようであれば、人間としてダメになる可能性が高まるので、筆者宅では家から叩き出すことになっている。

 だいたい死後50年に渡って子孫にも莫大な収入をもたらす著作物を作る著作者というのは、全体の何%だろうか。こういっては何だが、いわゆる二世三世と言われる人達が、先代を超える芸術家になった例は、あまり記憶にない。こう考えると、才能は遺伝するとは限らないか、不労所得は芸術家を育てない、ということがわかる。

 ましてや財産権を持っていない著作者およびその子孫にとって、いくら保護期間を延長しようとも無関係である。むしろ才能ある著作者からいかにうまく財産権を奪い取るか、そしてその奪い取った者の子孫だけが得をするという、著作者にとって非常にヤな世の中になる可能性さえ出てくる。これではクリエイターとしてのモチベーションは、むしろ下がる一方である。

 現在の著作権法では、人格権のほうは一身専属性の原則により、著作者自身の生き死にと分離できない。だが財産権のほうは分離して、どんどん強化されつつある。現在でも非常にバランスを欠いている状況であるのに、あと十数年後にはまたディスニーが裁判を起こして、財産権の保護期間が100年から永遠までの間で決まる可能性は否定できないのである。

 拡大しすぎた財産権を制御するために、人格権のほうを強化するという方法も、検討に値するだろう。例えば一度公表したものであっても、後年不本意であると判断したものを自分の意志で作品公開の取り下げができる権利は、著作者にあってもいいのではないか。これがあれば、YMOが謝罪するような事態も避けられるだろう。

 また保護期間が切れたものであっても、元の作品をそのまま展示・公開する際には、氏名表示権は行使されてもいいのではないか。もちろん現在も、保護期間切れの作品であろうと作品名と作者の名前はセットで付いて回っているので、これを義務化しても大した差し障りはないだろう。

 残された子孫にとって、いくらになるかもわからない著作権料という金銭的なインセンティブよりも、「何々を作った誰々の子孫」という名誉によって得られる社会的インセンティブのほうが、価値が高いように思われる。著作権保護団体が子孫のことまで心配してくれるなら、なぜその点を強化すべく働きかけないのか、不思議である。

 「著作権保護期間の延長問題を考える国民会議」は、12月11日に最初のシンポジウムを開催する。国民会議も、反対の一枚岩ではない。賛成派の看板でもある漫画家の松本零士氏が発起人に加わったことは、反対派にとっては厳しい圧力となるだろう。

 ただ、著作物の制作促進、また利用促進の双方から見ても、保護期間を延長するロジックに正当性は見られない。さらに言えば延長論の主張には、ストレートな「社会的正義」が感じられないのである。著作先進国として恥ずかしくない結論がだせるよう、考えていかなければならない。


小寺信良氏は映像系エンジニア/アナリスト。テレビ番組の編集者としてバラエティ、報道、コマーシャルなどを手がけたのち、CGアーティストとして独立。そのユニークな文章と鋭いツッコミが人気を博し、さまざまな媒体で執筆活動を行っている。

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