コラム
» 2007年03月19日 09時00分 UPDATE

小寺信良:ムービーがテレビを捨てる日 (1/3)

デジカメや携帯の進化によってムービー撮影は一般的な行為となりつつあり、「テレビ」という枠にとらわれないアプローチも散見される。そうして撮影されたコンテンツは、テレビを脅かす存在になりえるか。

[小寺信良,ITmedia]

 古くから言われてきたことではあるが、デジカメを買う層とビデオカメラを買う層というのは、基本的に違うものである。日本人のカメラ好きは今に始まったことではないが、その中でも写真は、男女問わず生活の中に深く浸透した。

 昨今ケータイなどで女性や年配者にフォーカスした製品作りが珍しいもののように取り上げられているが、すでにカメラは1960年代という早い時期に、女性・年配者をターゲットにしたハーフサイズカメラが大量に作られた。白物以外の工業製品の中では、カメラこそこのマーケティング戦略をいち早く実践したものではないかという気がする。

 一方で動画を撮るためのムービーカメラは、コンシューマ用として70年代に8ミリフィルムのカメラが登場した。筆者の実家でも父が物好きだったこともあって、筆者が小学生の頃にシングルエイトのカメラを買ったが、映写機が高くて買えなかったこともあって、結局その動画を見たことは一度もない。

 カメラ関係の資料によれば、「昭和40年代にシングルエイト、スーパーエイトが爆発的にヒットした」と書かれているが、それはおそらく都心部だけの話であろう。田舎ではムービーカメラ自体が珍しく、筆者は自分の父以外に運動会でムービーを撮っている人を見たことがなかった。

 ビデオカメラが本格的に普及したポイントは、1989年のパスポートハンディカムことソニー「CCD-TR55」に代表される8ミリビデオ時代という説もあるが、筆者の体感ではそれから約6年後の、DV方式登場時ではないかという気がする。そう考えれば、一般家庭で広く動画が撮られるようになったというのは、まだ10年ほどしか経っていないことになる。

 スチルカメラの普及40〜50年と、ビデオカメラの普及10年では、使われ方、そしてユーザーの意識に差が出て当然であろう。写真は家族を写すという記録用途以外にも、花や風景、町並み、そして何気ない日常のスナップなど幅広い被写体を写して、それが一つの作品として成立するという文化を創った。そしてデジタル時代になり、メモ代わりやコミュニケーションツールの一つといった用途まで誕生し、今日に至っている。

 一方のビデオカメラは、家族のイベント、旅行など特別な時に持ち出されるが、いくら小型化されても、いまだに日常の何気ないスナップを撮るといった用途までには至っていない。子供がいてこそのビデオカメラ、という論点は、未だ現役なのである。撮られる側の意識としても、写真は一瞬だが、ムービーはずーっと粘着して撮られることもあって、レンズを向けられると何かしなければいけないという脅迫感に捕らわれる人も少なくないことだろう。

 だがこの視点をビデオカメラではなく、デジカメやケータイのムービー撮影機能に目を移してみるとどうだろう。使われ方やユーザーの意識には、ビデオカメラにある独特の敷居が感じられない。今回はこれらムービー機能がもたらす動画コンテンツの変化と、CGMの在り方を考察してみたい。

デジカメだからできること

 以前ある雑誌の企画で、沢山のコンパクトデジカメのムービー機能を比較してみたことがある。外観は見た目こそスチルカメラだが、意外にちゃんとした動画が撮れるものが多かった。

 とは言ってもやはりメインフィーチャーは静止画なので、購入する人も動画が綺麗だからこのカメラにする、といった差別化はしないだろうと思う。機能が無いなら候補から外す、といった差別化はあるかもしれないが。

 過去にデジカメへ搭載されたムービーの在り方は、ビデオの世界から見て斬新なものが多くあった。例えば古くは富士写真フイルム(当時)の「FinePix M603」というモデルが、2002年という早い時期にVGAでのプログレッシブ撮影を実現していた。当時、動画と言えばハーフVGA程度が主流だった時代に、VGAサイズまで拡大しながらもテレビに出すことを考えていないという製品コンセプトは当時あまり理解されなかったが、一周回って新しかった。

photo 2002年10月発表の「FinePix M603」。VGA(640×480)の映像を録画できる
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